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2005.02.15
部会・研究会活動 <地域教育システムの構築に関する調査研究事業>
報告書 教育コミュニティづくりの理論と実践
-学校発・人権のまちづくり-

教育コミュニティづくりの現状と課題

 池田 寛


  1 なぜ教育コミュニティなのか

<1> 教育コミュニティとは?

 「教育コミュニティ」とは、学校と地域が協働して子どもの発達や教育のことを考え、具体的な活動を展開していく仕組みや運動のことを指している。

 教育コミュニティづくりを進めていくのは、教師、地域住民、保護者、そして行政関係者やNPOの人々である。これらの人々が、「ともに頭を寄せ合い子どもたちのことを考え、いっしょに汗を流しながらさまざまな活動に取り組むこと」が教育コミュニティづくりのかたちであり、「ともに集う場」「共通の課題」「力を合わせて取り組む活動」がその基本的要素である。

 教育コミュニティの考え方が従来の教育活動や地域活動とちがう点は、学校(ここには幼稚園や保育所も含まれる)が特に重要な場所となるということである。学校という場が協働をつくりだしていく主要な場となるのである。学校がともに集う場を提供し、教育についての課題を提供し、協働活動が展開される場を提供する。

 そのためには、学校と地域の間にある壁が取り除かれ、学校が地域に対して開かれたものとならなければならない。学校の中での子どもの姿を地域に対して情報公開していくことが学校に求められるし、いじめや学級崩壊や不登校など、学校が抱えている問題や課題を地域と共有するという姿勢を学校はもつ必要がある。「助けを求める勇気」がいま学校に求められている。

地域に対して開くという姿勢を、学校は内・外に明確に示さなければならない。学校内の教職員全体に、学校を開くという意識を浸透させ、学校のあり方−−学校と地域の関係、学校の運営、教科や生活指導など教育活動など−−を従来とはちがうものに変えていくという方向性を教職員全体が共通認識することが必要である。それと同時に、学校の外に対しても「学校は開かれている」というメッセージを明確に伝える必要がある。しかし、「うちの学校は開かれていますから、いつでもどうぞ」という表現では十分ではない。そういう伝え方をすれば誰でも気軽に足を運べるほど、いまの日本の学校の「敷居」は低くないのである。何の用事もないのに学校に行けると考える人はほとんどいないだろうし、そういう人を受け入れる場所を持っている学校はほとんどない。まして、子どもが卒業してしまったり子どもがいない人は、学校に行ってはいけないかのような雰囲気が学校にはあるのである。

 学校を開くというメッセージは、抽象的・一般的に表現されるのではなく、できるだけ具体的に表現されなければ現実的な効果を生み出さない。具体的に「こういうことをする人を求めています」というメッセージを地域に発信することである。そして、地域の人の助けを呼び込む「こういうこと」を教職員は積極的に見つけだし作り出していくべきだろう。そういう場や活動が学校の中にはたくさんあるはずである。教職員が、これは自分たちでやるべきだと思っていたことも地域の人の助けを得られれば、もっと充実したりスムーズにことが運ぶことがいっぱい学校の中にはあるはずである。

 教育コミュニティづくりが従来の地域活動や教育活動と異なる点がもう一つある。それは、学校を通じて人々のつながりをつくりだそうとしている点である。地域の人々が集える場や機会が学校の中に設けられたり、学校活動に参加できる機会が増えていくと、そのことを通じてそれまでふれあうことがなかった人のあいだにつながりが生まれてくる。学校への参加を通じて新たな人のつながりをつくりだすことが教育コミュニティ構想の一つの特徴である。

 都市だけでなく農村においても、いまや日本の地域コミュニティは崩壊状態にある。いまでも地域のつながりがあると言われている地域でも、そのつながりは部分的であったり一時的であったりするところが多いのである。お年寄りと小さな子どもたちが日常的にふれあえる場がある地域がどれだけあるだろうか。大人たちと中高生がいっしょにできる活動がある地域はどれだけあるだろうか。乳幼児の子どもを持つ親と子育てOBやお年寄りがいっしょに語り合える場がある地域はどれだけあるだろうか。こういうつながりを学校への参加を通じて再生できないだろうか。同じ地域に住みながら、「不自然に」分断された人のつながりを、学校への参加ということによって蘇らせることはできないだろうか。

 「再生」とか「蘇らせる」といった、時計の針を元に戻すかのような表現は誤解を与えるかもしれない。そんな過去の幻影を追い求めてどうするのだとかという声が聞こえてきそうである。しかし私は、このような人のふれあいやつながりは昔のよき時代だけのものではないと思う。若者にせよ、お年寄りにせよ、小さな子どもを持った親たちにせよ、いまも人はふれあいとつながりを求めている。「ふれあえ、つながれ」といった強制はすべきではないし、そういうことで人の真のつながりは生まれない。しかし、人とふれあいたい、つながりたいという欲求は社会的動物としての人間にとって基本的な欲求であり、それが満たされていない社会状況こそが問題なのである。そういう欲求を持った人が「自然に」集い、語り合い、いっしょに活動できる場や機会を身近に提供すること、これが教育コミュニティづくりの原点である。

 

<2> 大阪府での「地域教育協議会(すこやかネット)」の設置とそれにともなう動き

教育コミュニティ構想にもとづいて施策化され実現されているのが、大阪府教育委員会が進めている「地域教育協議会(すこやかネット)」である。

 すこやかネットは大阪府下の全中学校区に設置されるという意味で、府県単位での取り組みとして総合的かつ広範囲にわたるものであり、それにともなう活動の展開も注目すべきものがあるが、教育コミュニティ構想に沿った活動を展開したり施策を打ち出している校区や自治体は全国的にみてかなりの数に上るのではないかと思われる。それらに共通しているのは、学校と地域の間の壁を突き崩し、学校と地域が教育活動や子育て活動に取り組もうとする動きである。そうした動きをみせているところでは、学校と地域の協働が学校や地域の活性化につながるという思いが学校関係者と地域の人々の間で共有されているし、これまでみられなかったような協働の活動が展開されているのである。

 具体的にどんな活動が展開されているかをみる前に、大阪府のすこやかネットの設置状況とそれにともなう動きをみておくことにしよう。

 大阪府では2000(平成12)年からすこやかネットの設置が始まった(大阪市は除く)。初年度は162の中学校区ですこやかネットが立ち上がり、次年度は88のすこやかネットが設置された。そして、2002(平成14)年度に残った84の中学校区で設置が準備されており、2002(平成14)年度をもって大阪府下の全中学校区にすこやかネットが設置される運びとなる。しかしこれはあくまで組織に関することであり、活動となると話はちがってくる。設置が決まり役員の選定が終わったという段階のすこやかネットもあれば、一応活動を行っているものの従来の地域団体の活動を組み合わせて実施しているだけのすこやかネットもある。大多数のすこやかネットは、その本来の趣旨とはかけ離れている。それでは本来の趣旨とは何か。それは、学校と地域がたがいを隔てている壁を突き崩し協働の活動に取り組むことである。学校の都合だけで地域の協力を求めるというかたちではなく、地域の活動に学校が表面的に参加するというかたちでもなく、その活動が学校、地域双方にとって必要なものとして認識され、たがいに助け合うかたちでその活動が展開されてこそ、協働の活動となるのである。

 すこやかネットは学校、地域のどちらが担うべきかといった議論がどこでも起こっているが、協働論からすればそれはナンセンスな議論ということになる。学校にとっても地域にとっても必要な活動であれば、どちらもその活動には積極的、主体的に参画するはずなのである。すこやかネットがまだ実質的な活動を行っていないとしたら、また、学校も地域もそれほどその活動に積極的でないとしたら、双方が本当に必要だと思う活動がなされていないからである。

 先にすこやかネットの大多数は本来の活動を行っていないと述べたが、逆に1〜2割のすこやかネットは学校と地域の間の壁を突き崩し、双方がその効用を実感するような活動を展開している。それらのすこやかネットの活動の中から典型的なものをいくつか拾い出して紹介することにしよう。



 2 協働の具体的展開

<1> 学校応援団の誕生

 すこやかネットの活動が進んでいるところでは「学校応援団」が誕生している。学校が必要とすることなら何でも協力しようという呼びかけのもとにつくられた組織である。「サポータークラブ」「ボランティアクラブ」「オヤジクラブ」「やったろう会」など、その名称もさまざまである。

 たとえば高槻市の城南中学校ではビオトープをつくるために日曜ごとに学校に集まった人たちが中心になって「おやじの会」をつくった。そのメンバーは校区フェスタのときにはそろいのジャンパーを着て、前日から作業の準備をてつだったりフェスタ当日に出店を出したりする。それ以外にも学校からの要請に応じていつでも出動する。茨木市の三島小学校の「サポータークラブ」は、学校という場を使って自分たちのいきがいづくりをしようとして集まった仲間である。少数の有力者が学校のために尽くすのではなく、学校に力を貸そうという人ができるだけ多く参加することが学校にとってだいじなのだという趣旨のもとに、サポータークラブは発足した。メンバーは、パソコンを使って広報誌づくりをしたり、学校の花壇で花を育てたり、「ただいまパトロール中」のステッカーを自転車につけて校内を走り回る。和泉市の北池田中学校区の「校区一体子育ての会」のように、校区の夜間巡回から始まり、さまざまな学校支援へと活動を広げている組織もある。子どもの育つ環境を勉強しようという就学前の母親を対象とした公民館の講座から誕生した、貝塚市の「子育てネットワークの会」のような組織もある。その修了者を中心に組織されたものが、子どもの成長にともなって組織が分化し、いまでは乳幼児・幼稚園・小学生・中学生の4つの部会に分かれている。この子育てネットワークの会はプレイパークや学校と共催で子ども広場を開催するとともに、いくつかの学校では学校活動にも積極的に参加している。

 これらの学校応援団に注目する理由は、従来の地域活動、教育活動にはなかったいくつかの特徴が見られるからである。その一つは、学校応援団は自主的な意志で集まった人々によってつくられた組織だということである。これまでも地域活動を担う組織は数々あったが、それらはPTAや自治会のように、役員となった人がやむを得ず役を引き受けるかたちで運営されており、その他のメンバーは参加意識が希薄であるというのが通例であった。従来の地域組織で、地域住民がみずから「手を挙げて」参加の意志を示しメンバーに加わったという例はほとんどない。それに対し学校応援団は、特定の人の呼びかけで集まったものもあるし、何らかのきっかけでともに活動していた人々の間から自然発生的に結成の声があがったものもあるが、いずれにせよ、みずからの意志で参加した人々によって構成された組織なのである。

そして第二に、学校応援団は、自分たちの楽しみのための活動だけでなく、学校や地域の子どもたちのための活動を行っている。参加者の自主性と地域への貢献という二つの要素が組み合わさった組織は、日本の地域活動では長らく途絶えていたものである。

 第三の特徴は、保護者世代の30代、40代の年齢層によって構成されている学校応援団もあるが、それに加えて、50代、60代、さらには70代の年齢層も加わった学校応援団も少なくないということである。50代、60代が下の年齢層を引っ張っていっている例も見られる。広い年齢層によって構成される組織、いいかえれば異なる世代がともに参加する組織というのも、近年地域社会では姿を消しているが、学校応援団はその活動を通じて世代のつながりを実現しているのである。

 参加者の自主性、地域への貢献、世代のつながりといったことを特徴とする学校応援団が、学校活動への参加という契機から誕生しているのがおもしろいところである。もしかしたら、そういう契機がなければ、このような組織は生まれていなかったかもしれない。地域での青少年活動は子ども会などこれまでにもあったが、それらは今日の学校応援団に見られるような広範な年齢層を巻き込んだ活動となることはなかった。学校とつながる活動、学校を場とした活動、学校のためにという活動が、参加者の自主性と幅の広さを生み出したと言っていいのではないだろうか。学校のもつこの「求心性」については、後に再びふれることにする。

<2> 年齢と世代を越えたふれあい

学校と地域の協働する中で広がっているのは、子どもたちの年齢を超えた活動である。小学生と中学生が学校の枠を越えていっしょに活動することが増え、中学生が小学生を導くということが起こっている。不思議なことだが、近年そういう光景を見かけることがほとんどなくなっていた。学校の枠で区切られて、小学生と中学生がともに活動することがほとんどないのである。中学生と就学前の子どもたちとのふれあいとなると、それ以上に少ない。

 すこやかネットでは校区の環境美化・清掃、子ども広場、校区フェスタなどが行われているが、そこに小学生と中学生が出会う場、ともに活動する場が生まれているのである。中学生が小学生を、年長の子どもたちが年少の子どもたちを、導く場面が見られるようになっている。中学生が保育所や幼稚園に保育体験に出かけるということも起こっている。いまの子どもたちの中で、年齢のへだたった者とふれあう機会は確実に減っている。少子化の影響もさることながら、地域の中での遊びの衰退が異年齢のふれあいの減少をもたらしている最大の原因であるが、異年齢集団の遊びの復活は環境的な条件を考えるとかなりむつかしいのが実情である。そうだとしたら、意図的な仕掛けによって遊びの中にあったような異年齢のふれあい・交流の機会をつくり出していくべきなのだろう。すこやかネットの活動は、そういうふれあい・交流を通じて、子どもたちの中にかつてあったような異年齢間の「導く−導かれる」「たよる−たよられる」「あこがれる−あこがれられる」関係を蘇らせようとしているのである。

 それだけでなく、異年齢のつながり・交流の機会は子どもたちの社会貢献体験の機会にもなっている。幼稚園や保育所に保育体験に出かけた中学生たちは、自分たちの訪問を待ってくれている幼児たちの姿、自分を頼って楽しそうに遊ぶ幼児の姿にふれ、自分の活動や存在がその子たちにとって役に立っているのだということを実感したものも少なくない。老人ホームなどを訪問した小・中学生たちも、その訪問を心待ちにしていた高齢者の姿や、「ありがとう」とか「また来てね」といった高齢者の感謝のことばにふれ、自分が人から必要とされていると感じたものも少なくないはずである。また、地域の清掃活動に参加する中で、地域の大人からねぎらいや感謝のことばをかけれら、自分たちにも社会に役立つことができるという気持ちをもったものもいたことだろう。

これらの社会貢献体験はささやかなものかもしれないが、その体験を積み重ねることによって、子どもたちはまわりの人々と自分との関係を認識したり、社会の中での自分の位置や役割についての自覚を深めていくのである。これらの体験は、「してもしなくてもよい」たぐいの経験ではない。これらの体験は、自分のことを越えて「社会的なもの」「公的なもの」を子どもが意識する上で欠かせない体験である。そして、このような経験は、学校での学習がとってかわることのできない体験でもある。子どもが異なる年齢、異なる世代の人とともに時と場を共有することを通して実現する体験であり、学びなのである。

 この種の体験の意義については、サービス・ラーニングや市民性教育との関連で後に再び取り上げることにしよう。

<3> 職業体験学習

すこやかネットの活動が行われているところで一般的にみられるのは、小・中学生の職業体験学習である。職業体験学習はいまでは多くの学校が取り組んでいるが、すこやかネットはその職業体験にどのような意味を付け加えているのだろうか。

松原市では各中学校区のすこやかネットの連絡協議会を結成し、青年会議所(JC)などを加えて職業体験をする事業所との連絡調整をはかっていく体制をつくりあげた。各学校が別々に職業体験を行っていると同じ事業所に複数の学校が同時期に子どもを送ってくるといった不都合が生じる。そういう事態を避けるのが連絡協議会結成の直接的なきっかけであるが、学校が行う職業体験学習を地域で支援していく機運を盛り上げ、学校と地域が協働して職業体験学習を実りあるものにしようというねらいがそこには込められている。

 私は、職業体験学習はレイブ=ウェンガーのいう「正統的周辺参加」に当たるということを述べてきた。正統的周辺参加とは、子どもたちが大人が行う労働や社会活動や文化活動などに直接参加し、そこからさまざまなことを学ぶかたちの学習を指しているが、そのような学習が成り立つためには、大人たちが参加した子どもを自分たちの正統な後継者として受け入れなければならない。たとえ参加しても、子どもが一時的な「お客さん」とか「じゃまもの」として受けとめられる場合には学習は生じないだろう。職業体験学習が正統的周辺参加としての価値を獲得するためには、子どもを受け入れる事業所がその教育的意義を理解し、地域全体が地域の子どものことは自分たちも責任を持って役割を果たしていこうという姿勢が必要なのである。

 学校の取り組みを支援するための地域の体制をつくりあげ、学校と地域が共通の課題に向けて呼応する関係を築いていく試みとして、松原市における地域教育協議会の連絡組織の結成は注目に値する取り組みだと言えよう。

 正統的周辺参加は職業体験だけに限られない。環境問題や福祉問題や教育問題などに取り組んでいる団体あるいは個人の活動に子どもたちが参加するというかたちもある。また、公民館や体育館など社会教育施設で行われている文化活動やスポーツ活動に参加するというかたちもある。正統的周辺参加とは、大人の持っている知識や技術、芸や技、問題のとらえ方や関心がこのような参加を通じて直接子どもに伝えられていく学習を意味しているのである。

<4> 校区フェスタ

すこやかネットの活動の中で最も盛大なのは校区フェスタであると言ってよいだろう。すこやかネットの活動が高まりを見せている校区では一様に「校区フェスタ」が行われている。校区フェスタがどのようにして始まり、実際にどのような内容と組織で執り行われているのかについては、松原市の4つの中学校区を取り上げて『協働の教育による学校・地域の再生』(2001、大阪大学大学院人間科学研究科・池田寛研究室)で詳しく紹介したので、以下では学校と地域の協働を実現する上でフェスタがどのような意義を持つのかについて簡単に整理しておこう。

 校区フェスタとは学校で行われる地域の祭りである。それは学校の校庭や体育館や校舎を舞台にしているところが従来の祭りとはちがっているが、それを地域と学校がともにつくり上げているということが従来とは違う最も重要な点である。準備段階から地域から選ばれた実行委員、学校側からの実行委員がともに力を合わせ、一緒に汗を流しながらフェスタの実現に向けて協力する。その協働の中で、地域の方からは「学校の先生の顔がはじめて見えた」という声が、学校の方からは「地域のパワーをはじめて感じた」という声が聞かれるようになった事例は少なくない。当日5000人を越える人が参加する大規模なフェスタとなっているところもあるのである。

あるすこやかネットのフェスタに実行委員として参加した地域住民の一人は、教師や子どもたちとともにつくり上げてきたフェスタを振り返って、「学校と地域の間には壁があると思ってきたが、それはお互いが持っている心の壁だった」と語ったが、「心の壁」は、フェスタにみられるように、実際に地域と学校が一つのことにともに取り組むことによって取り除かれていくものなのである。

このようなイベントだけでなく、日常的な活動も展開されるようになった。休日になった土曜日を利用して、土曜学校や土曜広場など子どもたちの遊びや学びやさまざまな体験の場が提供されるようになった。これらは学校で開催されるが、学校が運営したり主催したりするものではなく、あくまで地域の責任と主体性で実施される。このような取リ組みが行われるようになって、あらためて学校がもつ「求心力」に注目が集まっている。学校を場として開催すると、それ以外の場所で開催するより子どもの参加がはるか多いのである。長く地域子ども会の活動を指導してきた人の次のことばがそのことを如実に語っている。

  「長く子ども会の世話役をしてきたが、近年は次々と単位子ども会が解散に追い込まれている。イベント等を地域で開催しても大人の世話役のほうが子どもより人数が多いことが多い。このような状況をみていて、最近の子どもは集団活動や友だちと群れることそのものに興味をなくしており、家でテレビゲームをしているほうがいいと思っている、と暗い気持ちになっていた。しかし、小学校で子ども広場をやってみて、小学生の多くが集まるのを見て、自分の考えがまちがっていたのだと気づいた。子どもはやはり友だちといっしょに楽しい活動をしたがっているのだと。」

<5> コミュニティ・ルーム(ふれあいルーム)

貝塚市の貝塚北小の「ふれあいルーム」や豊中市の泉丘小の「コミュニティ・ルーム」ように、学校の中に地域の人が集まり活動する場がつくられる事例もみられるようになってきた。すこやかネットという組織的インフラが整備され、そこを場として活躍する人も現れてきている。大阪府では2001年から「地域コーディネータ−養成講座」を開催し、すこやかネットで活躍する「地域人財」(私は、「人材」ということばではなく、人は地域教育にとって宝であるという意味で「人財」ということばを使いたい)の掘り起こしを行おうとしている。すこやかネットがみずからの活動拠点を持っている例は少ないが、地域活動のためのインフラの整備という点で、その拠点となる物理的な場を整備していくことは今後の重要な課題だと言えよう。

そのような具体的な場があれば、同じ地域で活動しながらこれまでつながりのなかったさまざまな団体や組織も同じ場を共有して、互いに意見交換をしたり、共通の活動について話し合うこともできる。また、ちがった年代や世代の人が交流したりいっしょに活動するといったことも可能になる。そして、学校にそういう場がつくられれば、そこを通じて子どもたちと大人たちのふれあいや交流が生まれてくる。実際に、貝塚北小や泉丘小学校ではそういう変化が起こっているのである。

 都市化された地域社会では、人々が自然なかたちでふれあう場がなくなってしまったために、異なる年代や世代の人がふれあうことがむつかしくなっている。他にも、旧住民と新住民、外国人と日本人、障害者と健常者など、さまざまな「心の壁」が地域住民を互いに隔てている。それぞれに何らかの問題を抱えながら、それをともに語り合うこともなく、心を閉ざしたまま無力感に陥っている人がいかに多いことか。このような心の壁を取り払うためには、まずさまざまな人が交差する具体的な場をつくりだしていくことである。その交差の中から、互いの立場や価値観についての相互理解も生まれてくるだろうし、ともに取り組むべき課題も見つけだされてくるのではないだろうか。

<6> 子育てネットワークづくり

すこやかネットの活動はいまのところ小学生や中学生を対象としたものが多い。しかし、すこやかネットが中学校区で組織されているということは、少なくとも0歳から15歳までの子どもの成長や発達を連続的なものとしてとらえ、地域がそれに責任を持つということである。子どもの教育を学校まかせにし、教育を学校教育と同一視してきた結果、社会全体に子育て文化や教育文化の崩壊といってよい現象が起こっている。地域の役割と責任をもう一度問い直し教育文化の建て直しをはからなければ、子どもの現状や教育の現状はさらにきびしいものになっていくだろう。

 教育文化の建て直しをはかるためには、就学前の教育の問題を抜きにすることはできない。幼い時期の教育環境は、子どもの発達や成長に決定的な影響を与えるからである。いま、幼い子どもを抱えた保護者がまわりから孤立し、子育てに悩んだり不安に陥っている例が増えている。同じ年齢の子どもを持った親どうし交流し話し合えれば簡単に解決することでも、そういう仲間や機会がないために問題を抱え込み精神的に不安定な状態に追い込まれている若い保護者が少なくないのである。深刻な場合には、子育て放棄や児童虐待にまで至る例もある。

若い保護者が気軽に集まり、心配事や不安を話し合ったり、子育てについての考え方や方法を交換できる場や組織づくりが急務である。先に紹介した貝塚市の「子育てネットワークの会」はこのような趣旨のもとに誕生したものであるが、同様の組織が各地域で生まれプレイパークの開催や読み聞かせなどの活動をはじめている。これらの活動を支援し定着させるために、地域の身近なところに若い保護者が気軽に集ったり相談し合える場をつくっていくことである。そのためには、すこやかネットの活動として、学校の開放とともに、幼稚園や保育所の開放にも取り組んでいく必要があるだろう。

 このような保護者のネットワークづくりは、個々の保護者の子育てに関する悩みを解消したり子育て能力を高めるばかりでなく、参加した保護者たちに家庭を越えたつながりの大切さを認識させていくことになる。社会的にも子育てや教育を家庭の問題とみなす風潮があり、保護者自身も子育てや教育の責任はみずからにあると思いこみがちである。確かに、子どものしつけや教育に対して家庭は第一に責任を負うべきかもしれないが、家庭だけで子どもの育ちのすべてを保障できるわけではない。家庭外の個人あるいは集団によるさまざまな教育作用があり、それらと連動するような営みが家庭内で行われることによって、はじめて家庭における教育は効果的なものになるのである。子どもの教育におけるそのような家庭内と家庭外の教育作用の補完的性格を、子育てネットワークに参加した保護者たちはそのつながりを通じて気づいていくにちがいない。

 これらの保護者たちは、教育の補完性と同時に、家庭でのしつけや教育を越えた教育の大切さについても理解を深めていくはずである。個々の家庭でも他者との協力や公共道徳や社会に対する貢献の大切さなどを子どもに教えることはできる。しかし、本当に社会がいろいろな世代や文化や生活のちがう人々の相互依存によって成り立っていることを知るためには、相互依存と相互扶助が実際に行われている共同の場に参加することが必要である。そのような実際的な参加、実際的な体験によって、ことばだけでは学ぶことが困難な共同の精神を子どもたちは学ぶことができるのである。仲間との共同生活、共同活動が行われている場への参加によって、子どもたちは社会がさまざまな人々の支えや貢献によって成り立っていることを身をもって知っていくことになる。そしてそのことを、子育てネットワークに参加した保護者たちはみずからの活動を通じて理解していくことだろう。



 3 残された課題について

<1> 学校の閉鎖性

 協働の活動が行われることによって、学校と地域の新たな関係がつくられつつあること、そして、それにともなって学校でも地域でも新たな動きが始まっていることを紹介してきた。しかし、残念ながらここで紹介した動きが大勢を占めているとはいえないのが現状である。まだまだ多くの地域や校区では、こうした動きからはほど遠いのが実情である。学校側にその原因がある場合もあるし、地域にその原因がある場合もある。また、双方に協働の必要性についての認識が欠けており、たがいに相手を非難することに終始したり、最初からあきらめていたりする。

 何が協働を妨げているのだろうか。協働を阻害していると思われる要因を、学校、地域それぞれについてみていってみよう。

 地域の側から見たときに、最も大きな壁となっているのは学校の非協力的な姿勢である。学校の施設を借りる場合にも、さまざまな条件が課せられて使用が許可されなかったり、制限されたりする。地域との窓口になるのは学校の管理職が多いから、管理職の姿勢が学校の非協力的な態度を象徴しているものと受けとめられる。管理職の中には地域との協働の必要性そのものを理解していないものもいる。まさに管理的な発想から、「外部」の者が学校に入ってくることをいやがったり、学校の施設や設備が「荒らされる」のをきらう管理職も少なくない。学校ボランティアなどの導入についても、学校の主体性が脅かされるのではないかとそれに踏み切れない管理職もいる。このような管理職の「閉鎖的」な姿勢は、変革を求めるのではなく、慣性の法則に従って学校を運営していこうとするあらわれであり、40年あまりにわたって地域との間に壁をつくり、学校の中で教育活動を維持してきた名残である。それは、学校の主体性の確保という気高い精神から発しているかもしれないが、子どもの現状、子どもたちを取り巻いている地域生活の現状、学校に対する地域の評価や信頼感といったことを考慮すると、これまで通り学校は孤高を保っていてよいわけがない。主体性と孤立を混同すべきではない。主体性とは、他者との交流の中でみずからの独自性を主張したり表現していくということであって、まわりから隔絶した状態を指しているのではないのである。学校教育の主体性をいうなら、学校外の意見も聞き、保護者や地域住民と交流しながら、学校側の意見を主張できる関係や機会を積極的につくっていくべきである。

 管理職が「開かれた学校」に消極的になるのは、みずからの姿勢とは別に、その背後にいる教職員の姿勢を考慮しているからでもある。管理職以上に一般教師の中に地域との協働に消極的な姿勢をもつ者が多く、管理職はむしろ地域と教職員との板挟みになっている場合が多いのである。教職員に協働に対する消極的な態度が強いのは、一方で、そのことが時間外や休日出勤等の労働強化につながるという危機意識があるのと、もう一方では、みずからの教育活動を攪乱されたくないという意識があるからである。一般的に、教師は授業を自分の計画通り進めていきたいという思いや他の者に自分の授業を見られたくないという気持ちが強い。それは、ややもすると独善的な教育観や指導方法へとつながっていき、教育活動の硬直化をもたらす可能性がある。

 自己省察的な教師は、子どもの反応や日々の成果を振り返りながら、みずからの教育活動をどう変えていくべきか模索するだろうが、自己の指導方法や方針はまちがっていないと信じ込んでいる教師も少なくないし、その日その日を平穏に過ごせばいいと考える教師もいる。また、一人の教師の中にこれらの異なる存在が同居している。協働について、立ち止まって考えたり議論しているだけだと抽象的なものになってしまう。学校ボランティアにせよ、校区フェスタにせよ、まずともかくそれに着手し実行してみることだろう。その結果、学校教育にとってそれらが弊害が多いということになれば、見直せばよいのである。なす前にその意義を否定することは怠惰と同じことである。

 教師が協働にしりごみする理由はまだある。この30〜40年のあいだ地域と交流をあまり行ってこなかった教師には地域とのつきあい方がわからないのである。教師の中には、地域からは学校に対して批判的な声だけしか聞こえてこないと思っていたり、学校に積極的に協力する人などいないと思い込んでいる者もいる。そういう教師は少数かもしれないが、そういう声が教師集団全体の動きを縛ってしまうことも起こりうるのである。そうではなく、協働によって学校教育じたいがよりよい方向に変わっていくのだという声が優勢となるためには、協働の活動を一つずつ積み重ねていくことが必要だろう。その際に、教師に最も求められるのは、地域とのつきあい方を一から学んでいくという姿勢である。

<2> 地域活動における統合性とイニシアティブの欠如

地域が抱えている問題も少なくない。地域活動の現状をみると、青少年育成や非行予防などにかかわるさまざまな地域団体や組織があるが、それらのヨコの連携がほとんどとられていない。情報交換や交流が行われていないために、似通った事業を同じ時期に実施したり、子どもの取り合い合戦を演じるということになる。複数の団体が協力して取り組めばもっと充実したものになるのに、そういうこともあまり行われていない。また、地域の団体や組織が行う活動は、その多くが年に一回か多くても数回のイベントに終わるものがほとんどで、日常性・継続性に欠けるものが多い。

 教育に関係した地域活動だけでもこういう現状があるが、さらに自治会活動や地域福祉活動などに広げていくと、地域の活動は多岐にわたるが、それらの団体や組織はいわば並立状態といってよく、それらの団体間を連絡調整し活動を統合するものが存在しない。かつての農村では、人間関係が親密で役割関係もおのずとあったから、さまざまな団体を束ね調整することが自然と行われていた。しかし、都市の地域社会では自治組織の求心力が低下し、各団体・組織の活動は遠心的・分散的な状態に陥っている。

 そういう状況の中で、地域にさまざまな問題や課題があっても、地域住民をまとめ上げ、問題や課題解決に向けてエネルギーを方向づけていこうとする人もなかなか現れない。時にある問題が話題になったり提起されたりすることはあっても、その取り組みは一部の人の手にゆだねられたり、部分的で単発的なものに終わることが多いのである。教育問題にせよ、福祉にせよ、また環境や人権問題にせよ、地域の人々がそれらをみずからの問題としてとらえ、ともに話し合い、解決策を模索していくことが求められている問題は今後さらに増えていくし、その解決に向けて地域全体で取り組まなかったら問題はますます深刻さを増していく。地域のイニシアティブ、いいかえればこれらをみずからの問題として受けとめ、みずからの責任で解決していくという主体性がいま求められているのである。

教育コミュニティは、教育問題を通じて地域のイニシアティブを再構築していこうとする運動である。その萌芽が「学校応援団」の活動にみられることは上述したとおりである。しかし、学校との協働を進めていく上で、地域の側にそれを阻害する原因があると思われる場合もある。その一つは、学校あるいは教師に対する批判的、否定的な見方である。地域活動に参加する教師の数が少ないことに対する批判や不満の声に、それが典型的に現れる。確かに多くの地域では、活動に参加している地域住民の数に比べ教師の数は少ない。しかし、参加している地域住民も住民全体からみれば少数である。教師にだけ参加数を増やせというのは公平ではない。私は、いまのままでいいと思っているわけではない。学校も、地域も、もっと多くの人が地域活動に参加するようになればよいと思っているが、参加の必要性を強調するだけでは参加者は増えない。参加したことによって、何かが得られたと感じられるようになれば、自然と参加する人は増えてくるはずである。そのような活動と人のふれあいを一つずつ増やしていくことである。

 協働活動をめぐる地域の声を聞いていると、学校や教師の非協力的な態度をきびしく追及したり、学校はだめだとばかりに突き放したような言い方に出くわす。それだけ学校に対する期待が大きいということなのかもしれないが、地域に求められるのは、「北風」よりも「太陽」の姿勢である。「開け」「開け」ときびしい声を投げかければ投げかけるほど、学校はますます門を閉ざしてしまいかねない。少しでも門を開いた学校に対して、その「勇気」を称える度量が地域には必要である。少しでも開いたところを通じて、地域の励ましの声が、支援する協力の声が、風のように学校の中に流れていけば、学校や教師も地域との協働から学校にとって「何か大事なもの」が得られると感じ始めるにちがいない。


<3> 行政のタテ割りのもたらす弊害

 学校側が地域の問題は学校とは関係がない、地域の問題を学校に持ち込まないでほしいと思っているのと同様に、地域の側でも、学校で起こっていることは学校や教師の責任であり、地域には関わりがないという考え方をする人々が少なくない。いずれも、自分たちのなわばりを守っていればそれで責任を果たしたことになるというまちがった考え方をしている。これは、地域教育協議会の活動がスムーズにいっていないところでよく見られる現象である。学校と家庭、学校と地域、教育と福祉など、個々人が担当している仕事や役割に応じて領分を分割し、その「内」の課題に関心を集中させる思考様式が現代の社会に浸透している。これは、官僚制の中で職務分野が機能別に分割され、それぞれのセクションに仕事が割り当てられたことによって生じているのである。教育と福祉は行政の別の部門が担当することによって、管轄する団体もそのラインに沿って系列化され、補助金やサービスもそれにしたがって提供される。教育委員会の中でも、学校教育部門と社会教育部門に分かれ、それぞれが独自の業務を担いそれを遂行している。

 組織図にしたがったこのような役割や権限の分割は、職務を効率的に進めていくために必要なものである。しかし、それらが相互の関連性や連携を欠いている場合には、実際上さまざまな弊害が現れてくることになる。しかも、往々にしてこのタテ割り行政の中では連携や協力は行われず、末端部分の現場で具体的政策やサービスが齟齬をきたしたり、重複するということがしばしば起きている。

 地域教育協議会は、その目的や趣旨からいって、学校、家庭、地域を横断的に組織し、教師、保護者、地域住民の協働活動を促していくことをめざしたものであるにもかかわらず、これまでのタテ割り行政の弊害によってその活動が停滞しているところが少なくないのである。教育委員会の中で、地域教育協議会の仕事を学校教育部門が担当するのか、それとも社会教育が担当するのかといったなわばり争い(仕事の押し付け合いと言ったほうが適当かもしれない)があり、それが地域に降りていったときには、地域教育協議会の事務局は学校と地域のどちらが担当するかといった議論になっていく。その仕事を引き受けた担当者は大変かもしれないが、実際の仕事の内容や量以上に、担当者に仕事のすべてが押しつけられることが大きな負担となるのである。担当者のまわりに協力する人が何人かおり、仕事のかなりの部分が共同分担のかたちで進めていけるなら、時間的にも精神的にも負担感は大いに減じるにちがいない。地域教育協議会発足の理念からしても、その活動や事務的仕事がだれかに、また、学校、地域の一方に押しつけられるのは望ましいことではない。

 協働とは言っても、これまで20年、30年と協働活動が途絶えていた学校と地域の間で、すぐにそれが可能になるわけではない。協働は、まさに人のつきあい方であり、人とうまくつきあうことができるようになるためには、つきあい方の学習や訓練が必要なのである。数十年ぶりでダンジリ祭りに参加した岸和田市別所町のドキュメンタリー番組がテレビで放映された。別所町は、数十年前にダンジリを維持できなくなり手放したが、青年たちからの強い要望で再びダンジリを所有することになった。市の祭りに参加するために青年団が中心となった練習が始まったが、経験者もほとんどなくゼロからの出発といってよい状態であった。同じ町に住みながら互いに顔を知らない者も多く、ダンジリに見立てた軽トラに棒をくくりつけ、練り回しの練習を連日重ねたが、参加者の息が合わない日々が続いた。しかし、回を重ねていくうちにしだいにコツがわかってきて、参加した者の中に仲間意識も芽生えていった。ダンジリの練習を通じて、ともに力を合わせて一つのことを実現する人々の姿がそこに映し出されていた。

 地域でのつきあい方の基本がここにある。それは、ことばで伝えられるものではなく、具体的な活動への参加を通じて、行動によって一人ひとりが体感していくものなのである。「集まって話し合い」「ともに力を合わせ」「いっしょに汗を流す」ことによって、地域社会の習慣、いいかえれば協働の作法は学ばれ伝えられていくものなのである。