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2004.09.13
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維新の変革と部落(移行期研究)研究会報告
2004年6月19日
明治前期の牛馬市場をめぐって

秋定 嘉和(池坊短期大学名誉教授)

  「草場」と牛馬市場および屠場との関連など、明治前期の過渡期における食肉産業の形成、あるいは牛馬流通の変容については、未だ解明されていない問題点が数多く残されている。そこで本報告では、明治前期の牛馬市場を中心に、幾つかの研究課題について述べていきたい。

  まず、牛馬市場の変容についてみていこう。政府は明治10年代に各府県へ問い合わせた上で全国牛馬市場調査表を作成しているが、そこから各地の部落所在地と牛馬市場との関連をみると、必ずしも両者が一致するわけではないことがわかる。このことは、いわゆる博労の「筋目」とエタの「筋目」が、一部分で交叉しながらも、基本的には異なるものであったことを示しているといえよう。この点は今後、史料的な裏づけをとると同時に、交叉する部分について具体的に追及してみる必要があるのではないだろうか。

  現在のところ、博労の実態、あるいは博労と「草場」の関係はほとんど解明されていない。京都府の南桑田郡では、部落の大字を含む村に牛馬市が開設されており、その近辺に「草場」が存在しているが、このような事例を大阪や兵庫等との実態と併せて考えなければならないだろう。

  また、同じ京都府南桑田郡の事例からは、「牛ハ但馬、馬ハ近江」というように、それぞれの産地が明確であった上、販路についても、京都府内および摂津、という形で確定していたようである。従って、ここに近世期からの市場圏の形成をみることができるだろう。

  それぞれの市場についても、市場の廃業、市場の新設、市日の変更などの盛衰をみている。これらは景気動向の他、事業開拓や旧慣の廃止等、新規の努力によっても左右される問題であり、旧来の慣行を維持することで衰微をみた場合もある。また、大型道路の設置等、交通事情と市場の盛衰が関連する場合も考えられよう。

  このような市場の盛衰と、仲買の商慣習との関連も問われなければならない。東京・関西とも仲買による悪習が伝えられているが、中間搾取やごまかし、博労の横暴・暴利は根強く残ったと考えられる。これらに対し、明治5、6年頃から政府が課税・流通の監督・統制といった形で制御を加えようとする動きも注目されよう。

  このほか、馬肉文化圏ともいえる関東の食肉と「草場」との関連、牛馬市場と屠場の関係、その支配構造や位置関係が問われる必要がある。

  大阪では、天王寺村牛馬市と孫右衛門、さらには周辺の部落との関連がいまだ十分に解明されていない。孫右衛門は明治初年に従来通りの特権を維持していたが、後の自由市場化の流れにあっても、その特権が簡単に解体したとは考えにくいのではないだろうか。孫右衛門と同様の親分は東京でも「七人衆」といった形で存在しており、馬市場の支配や手数料の徴収、談合入札の習慣化など、数々の特権を維持していた。東京でも大阪でも、法令上は特権が解体しながらも、網の目状のネットワークは維持されていたと考えられよう。

  大阪についてはこのほか、牛馬商社等の会社組織・仲間組織結成に伴う市場と屠場の変化や等について解明しなければならないだろう。

  その他残された課題として、東京・大阪・京都等における斃牛馬化製組合(会社)の成立、特に、そこにおける「草場」との関連や、一般資本の参入等の問題が明らかにされなければならない。また、牛疫・流行病死対策や、牛の生産向上政策、養豚の奨励等、政府・行政の動向との関連も今後の課題である。

  いずれにせよ、牛馬市場研究は未だ緒に就いたばかりである。今後、本報告で提示したそれぞれの課題について深化させることで、その総体を明らかにしていかなければならないといえよう。

(本郷 浩二)