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2005.05.16
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維新の変革と部落(移行期研究)研究会報告
2005年1月15日
明治初期の賤視意識について

里上 龍平(大阪の部落史委員会)

前回(2003年9月)の報告では、被差別部落外の人々の意識と行動について、主として大阪府内で発見された明治初期の新聞における部落に関する報道を素材として検討した。本報告ではこれに引き続き、雑誌や行政資料・村役人の日記等にまで対象を拡大し、そこにみられる明治初期の賤視意識の分析を試みたい。なお、ここで検討される同時代に共有された集合体としての社会意識というものは、以下にみるように厳密に選り分けられるものではないだろうが、各史資料に依りながら、それぞれがおおよそどのような意識の反映によるものであるかという傾向を析出することは可能であると考えられる。

ではまず、当時の地方行政を担った地方官の意識についてみていこう。各府県から発せられた布告・達等においては、旧穢多・非人身分の者について、品性・道徳の欠如や驕奢・分限をわきまえない態度を指摘する文面が多くみられる。これらは明治政府が道徳的側面等、人民の教化を重視したことや、文明開化・一視同仁の下での「同等」意識の喧伝が反映されたものであろう。このほか、堺県の達には、旧穢多・非人身分の側が自らを疎外し、交際を途絶しているという認識もみられる。

上にみたような、明治政府における道徳的側面・人民強化重視の傾向は、「解放令」に関する諭告の中にもみることができる。ここでは、民衆相互の職業賤視による四民の交際途絶や、汚穢・臭気に基づいた差別、さらには文明開化の側面から、旧穢多・非人側の未開化の状態を指摘するものなどがある。これらの諭告は、政府の開化政策の浸透を担っていた当時の半官製的な新聞の記述に比べて、「否定されるべき現実」を捉えているという意味で、より実態に即したものとなっているのではなかろうか。

次に、同一村内における部落外の人々、あるいは近隣の農村地域の人々など、いわゆる民衆の意識についてみていきたい。民衆の賤視意識を示す史資料については枚挙にいとまがないが、それぞれの事例は、触穢の忌避、卑賤視、劣等視、隷属視、同等待遇の拒否等に大別することができる。これらは厳密な区分ではなく、また一つの現象を異なる言葉で説明している場合もあるが、大まかな傾向として理解することは可能であろう。また、ここでは主に旧百姓身分の人々の意識を採り上げたが、これらを「民衆」という形で一括化することなく、より厳密に細分化して捉える必要があるだろうが、今後の課題としたい。

「解放令」前後の時期には、幾つかの地域において部落の側から本村との分離を要求する運動が起こっている。これらは「解放令」の趣旨を盾に退けられる場合が多かったが、部落側から提出された要求書には、当該期における本村の枝村に対する疎外や差別待遇と、旧慣に固執する本村の態度が批判的に指摘されている。これらは、「解放令」をきっかけとして、村政等の場面において従来とは異なる関係が形成され、そこでの本村の態度が、部落側には「旧慣」と映ったことを示しているといえよう。

また、和歌山県で発見された中尾純という人物の穢多・非人解放をめぐる「建白書」では、穢多・非人の疎外や旧来の禽獣視について指摘されており、建白書における記述を賤視意識を明らかにする上での史資料として用いることができる事例として興味深い。

以上にみてきたように、明治初期の賤視意識をめぐる史資料は、その多くが穢れ意識を共有しており、また個別の事例の中では、異人視や同座拒否の意識がみてとれる。また分村要求等にみられるように、「解放令」をきっかけとした新たな関係のもとに、賤視意識が発現する場合もあった。今後は、本報告で検討した史資料を基本に、抽象的な意識レベルではなく、具体的な場や動向に即して検討し、それぞれの場面における賤視意識を構造的に把握する必要があるといえよう。

(文責:本郷 浩二)