調査研究

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2006.04.28
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維新の変革と部落(移行期研究)研究会報告
2005年12月23日
 2005年12月23日の研究例会では、当研究会の報告書作成に向けた論文構想として、以下の3報告が行われた。
四ヶ所長吏と非人番

北崎豊二(大阪経済大学 名誉教授)

 近世大坂の長吏と非人番をめぐってはこれまで、基礎資料の刊行と研究の蓄積が進められてきたが、その多くは四ヶ所と三郷の非人番に関するものであり、四ヶ所と摂津・河内・播磨などの在方非人番との具体的・組織的関係は未だほとんど解明されていない。このような研究状況を踏まえ、本報告では、近世後期を中心に、町触にみられる非人番の役割と、在郷の非人番と大坂町奉行所および四ヶ所との関係について考察された。

 近世後期の町触には野非人の取り締まりに関する記述が多くみられるが、そこでは、無宿人別の者であっても、荷物の番や掃除をする者、「居馴」の者や大坂長町の働人足溜所から搗米屋・酒造屋・絞油屋の三商売人へ働きに行く者は追い払わないとされていたようである。このため、野非人対策にあたった長吏・小頭・非人番は、町奉行所の意向に添って、主に小盗・巾着切や捨て子の取り締まり等を行っていた。これは在方の非人番についても同様であったと考えられる。

 次に、在方非人番と四ヶ所との関係であるが、摂津河内・播磨の非人番の多くは、四ヶ所長吏らの共同支配の下に置かれており、小頭ではなく年行司を置く「直場」の非人番と、在小頭を通して四ヶ所支配を受けた非人番があった。四ヶ所垣外と在方非人番の間には相互の交流もみられたようである。また、四ヶ所勘定から在方非人番支配を検討すると、非人番からは「村掛ケ」「礼銭」など、数々の上納金が納められており、相当の収入だったことがわかる。

 四ヶ所は、明治4(1871)年の「解放令」以降、強権的に解体させられたと推定されているが、非人番の解体過程についての詳細は十分に解明されていない。この点を大阪府布令等の検討によって明らかにすることが次の課題であるといえよう。


明治前期の部落認識

里上龍平(大阪の部落史委員会)

 本報告では、これまで二回の報告内容(2003年9月、2005年1月)を踏まえた上で、明治前期の被差別部落をめぐる認識のあり方について考察された。

 廃藩置県以降の文明開化政策の動向は、単なる制度的な改革にとどまらず、明治政府の根本的な基盤を形成するものであった。そこにおける散髪・廃刀、結婚の自由、徴兵制、さらには「解放令」といった諸政策は、民衆に対して、因襲からの解放、学校熱・学習熱の激化等々をもたらしたが、反面、民衆の疲労と倦き、権威ある基準への帰依といった態度、文化的・社会的な挙国一致現象(=同調化)を伴う啓蒙的専制体制をも現出させたといえる。

このようななか、支配層においては、「解放令」の「深い御趣旨」を強調する一方、部落の「悪弊」を取り去り、「人倫の道」を守らせるという対部落認識が顕著であった。

 一方、当該期の新聞は、文明開化の窓口としての機能を負っていたこともあって、自らの立場に立脚しながら、「文明と野蛮」「中央と周辺」「教導的・訓戒的と差別的・暴力的」といった価値観を再生産しており、従って、部落に対しては、「旧穢多」「新平民」等の呼称による特殊化が行われながらも、同時にその教育に対する熱意と独立心をとりあげて、教育を称揚するといった姿勢がとられていた。

 しかしながら、民衆的視点においてその態度や関わり方を検討すると、被差別部落は、政治・文明からの疎外、機会からの疎外、負担や権利の不公平といった差別的関係にあり、また意識の面においても、ケガレや旧慣に基づいた接触や交際の拒否がなされていた。

 従って、民衆的意識の上では、「解放令」の理念よりも、より身近であった従来からの関係が優先されていたとみることができよう。


神戸における明治初期の「都市下層」民衆をめぐって

高木伸夫

 近世/近代移行期における開港地・神戸の「賤民」や被差別部落をめぐる研究は、当該期に関する重要な論点をいくつも含みながらも、十分な進展をみていないのが現状である。いわゆる「都市下層」の民衆をめぐる研究もそのひとつであり、その幕末・維新期から明治初期の変容過程を被差別部落の動向と関連づけて解明することが求められているといえる。本報告では、そのための基礎的作業として、明治初期神戸の「都市下層」民衆をめぐる研究の成果と課題が整理された。

 戦前の「賤民」研究においては、兵庫津地方研究の進展や『神戸市史』編纂に伴って、岡方文書や七宮神社文書等、戦後研究の基礎となる諸史料の発掘、筆写、紹介が多数なされている。原本の多くが戦災や水害等によって消失したこともあって、それらの成果は貴重であろう。また、明親館旧蔵文書他の文書・絵図類の神戸市立図書館による購入・所蔵も確認されている。

 戦前期には、民俗学者・太田睦郎や部落史研究家・塩谷孝太郎による研究がなされているが、上述した史料の存在も含めて、これらは戦後、一部の研究を除いて殆ど知られておらず、先行研究の咀嚼不足が指摘されるところである。

 戦後の部落史研究では、法制史の立場から研究した藤木喜一郎、『神戸市史』編纂過程での史料採取・分析を行った落合重信、労働組織を研究した大島藤太郎等の成果のほか、花熊村文書、浄福寺文書の分析・研究がなされてきた。また、近年では、布川弘や神戸外国人居留地研究会による研究が成果を挙げている。

 今後は、これら一連の成果を踏また上で、『岡方文書』や『神戸市文献史料』の分析を進め、幕末・維新期から明治初期の移行期における皮多村、夙村など諸賤民の変容過程と「解放令」前後の動向を解明することが課題であるといえる。

(文責:本郷浩二)