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2007.07.03
部会・研究会活動
人権啓発推進リーダー養成のための実践調査等研究事業
(2006年度)
人権啓発推進リーダー養成のための実践調査等研究事業 報告書

第3章  インタビュー

本章では、解大修了生と人推員リーダー養成研修修了生を対象に行ったインタビュー・データを素材に、それぞれの研修の受講前、受講中、受講後の人権問題に関する意識の変化や研修に対する思いを描き出す。これにより、それぞれの研修の効果として見えてくるものを析出し、有効な人権教育・人権啓発を行うための要因の提示を試みる。

ただし、調査人数が解放大学3名、人推員リーダー養成研修修了者3名と少ないため、データとしての客観性には限界がある。また、調査目的に共感し、インタビューの依頼を受諾してくれたという点から、ある程度偏りはあると見なければならない。なぜなら、インタビューという試みは調査者と被調査者による相互行為であり、(社)部落解放・人権研究所のスタッフがこれを行っていることが、被調査者の語りに少なからず影響を及ぼしていると考えられるからである。

このようなデータとしての偏りは踏まえつつも、それぞれの生き生きとした「語り」から、解放大学、人推員リーダー養成研修というこれまで継続的に行われてきた人権研修や人権啓発活動のありようの一端を描き出すことは、意義があると思われる。これを可能にしたのは、ひとえにインタビューに応じてくれた6名の方々の協力のおかげであり、この場を借りて心から御礼を述べたい。

第1節  部落解放・人権大学講座修了生へのインタビュー

解放大学における「学び」とは、いったいどのようなものであろうか。これを探る手がかりとして、下記に、部落解放・人権研究所発行『部落問題に対する意識形成調査研究報告書』(2003)にて、同和地区に関する意識の形成過程の把握を目的に、解大修了生に行ったインタビューより提示された知見を引用している。これらは、2004年度以降の解放大学のプログラムに反映されている。

(i)関与の強さがもたらす影響

具体的な行動の選択にまで影響する、被差別部落に関わる意識の形成や変化には、その問題に対する関与の高さが非常に重要である。被差別部落に対する排除・回避の方向であれ反差別の方向であれ、関与の高さは、被差別部落に対する意識の形成に大きな影響を及ぼす。

(ii)領域の多重性がもたらす影響

 被差別部落に対する意識は、一元的ではなく、人びとがコミットする様々な領域という多重性を持っている。こうした領域の多重性は、その領域内での、役割、人間関係、規範、常識などの背景的文脈によって規定されており、ある領域での反差別の意識が、必ずしも他の領域での反差別の具体的な行動の選択に結びつくとは限らない。

(iii)緊密な人間関係

「部落にかかわりになるな」「差別してはならない」など、部落に関する規範やその他様々な情報が発せられたとき、それを受容するか否かは、規範を保持し、情報を発する主体との関係がいかなるものであるかに大きく影響される。規範や情報が差別的であっても、反差別的であっても、緊密な人間関係、親密な人間関係、信頼に満ちた関係が形作られている間では容易に伝達、受容されるのである。逆に人間関係が疎遠であったり、信頼を欠いていた場合、それらの伝達、受容は、困難になる。

(iv)「部落出身者-部落外出身者」の接触

部落出身者との対面的接触は、一定の条件下においてであれば、部落に対する意識を肯定的に変化させる契機となる。効果的な接触の条件とは、両者が平等な立場で協同活動をすること、その活動を支持するような制度や体制があること、そしてこの協同活動が十分に行われることなどである。

(v)「反差別役割」の付与

人権啓発室室長など、「反差別役割」を付与し、役割遂行を促すことは、一定の条件下においてであれば、「反差別」の行為と意識が導き出される契機となる。「認知を先に変えて行動を変えさせるよりは、行為・活動の方を先に変えさせて、それに伴って認知が変わる方が効果的な場合が少なからずある」(波多野1995)ということである。 

本節では、解大修了生3名の語りから、解放大学における「学び」を具体的に描き出すとともに、これらの知見の検証を行う。

1 Aさんの語りから

(1)解放大学受講前の気持ち

Aさんは会社員であり、人事部人権啓発室への異動に伴い解放大学を受講している。この受講理由は多くの解大修了生と同じであると思われ、そのときの思いは下記のように語られている。

正直いいまして、何をする部署か全然わからなくて、人権啓発って何なのかなと。で、前任の方が当然いらっしゃるんですが、前任の方から、「とりあえずこの仕事をやっていく上で、解放大学に行っていろいろ必要なスキルを習得しなければならんので、6ヶ月間行ってみて」というような話をいただきまして。はじめは何のことか全然わからなくて、週1回か2回程度だといわれたのですが、今さら大学という名のところに行くことに対して非常に煩わしく思ったのが正直なところです(A)。

(2)開講時の印象

解放大学の開講時は、同和問題をはじめ人権問題を学ぶことに対する身構えからか、会場には緊張感いっぱいの重たい雰囲気が漂う。しかし、受講生は徐々にうち解けていく。

やっぱり最初に来たとき、みんな非常に難しい顔してますし、重たい空気の中で、「うーん、何やねん」という感じで。で、自己紹介等々の時間もありまして、そのときに、「あぁ、みんな初めてなんやなぁ」っていう感覚を持ちました。ああ、それなら、別に気おくれもせずにやっていけるかなぁっていう感じは受けました。で、やっぱりお互い社会人ですから、何回か顔を合わせているうちに、お酒も入ってきますし(笑)、親しくなっていく。それで研修の中のグループ討議で、そのメンバーとまず打ち解けるっていう機会がありました。そういうカリキュラムも非常に良かったかなぁというのが正直なところですね(A)。

(3)自身と同和問題との関わりを振り返る衝撃

 解放大学のメイン・プログラムである「自己啓発学習」について、以下のように語られている。「衝撃的」であり、「良かった」という言葉が印象深い。(「自己啓発学習」の詳細については、「第1章第2節1 部落解放・人権大学講座の経緯とプログラムのねらい」を参照) 

部落問題に対して、今までそんなに深く考えたこともなかったですし、・・・例えばセクハラというのは、チラッと会社の方で講習等々がありましたからちょっと意識がありましたが、人権問題のまず一発目が部落問題から入りましたから。それに対して、自分であまり意識してなかった中で、こう、呼び起こしっていうか、振り返りというか、まぁ、まさにその記憶をたどっていく作業があったことが非常に良かったんかなぁって思いましたね。いろいろ文面にも書いたんですけど、忘れたいことや忘れてしまっていることをだんだん呼び起こす作業。あれが一番衝撃的いうたら衝撃的でしたね。振り返りなんかやったことなかったですから(A)。

(4)「自己啓発学習」における助言者の役割

 このような「振り返り」を促進する役割として、受講生3~4名の小グループに助言者が1名入り、7日間の「自己啓発学習」を継続してサポートする。ここには、冒頭の知見(iii)緊密な人間関係の影響が見られる。 

 僕の場合は、母親から(マイナス・イメージの)刷り込みをやられたんですけれども、先生に「お母さんだけじゃなくて社会がそういう雰囲気やったっていうことはなかったですか?」っていわれたときに、「えーー!ああー、そうやなぁ」っていうね。近所づきあいの中でそういう空気が確かにあったよねぇって。誰も遊ばさないというところがあったから、自分だけじゃなくて。ああ、そうやったんや、確かに地域にそういう空気が充満してた、そこに気づかされたという、そういうやりとりもありましたですね(A)。

(5)同じ班の同和地区出身者の存在

「自己啓発学習」において、同和地区出身の班員から思いを聞いた経験が印象深かったとAさんは語っている。これは、解放大学の「自己啓発学習」という空間が可能にした経験と考えられ、知見(iii)緊密な人間関係、知見(iv)「部落出身者-部落外出身者」の接触の妥当性が確認される。

それまで同和地区に対して持っていた意識を変容させる契機となり得るこの経験は、その場を構成しているメンバーによって、共同的に構築された貴重なものといえよう。

我々の小グループの中には被差別部落出身の方はいらっしゃらなかったんですが、同じ班の中には被差別部落の人がいて、彼の話なんか聞いていると、やっぱり、ああ気にしてたんやな、そういうこともあったんやなっていうことを、思い知らされたっていう感じで…うん(A)。

そうですね。例えば自分がそれをいうにあたって、気持ちは果たしてどうなんやろ?っていうことまで踏み込んだことなかったですから。友達にはいろいろいたけれども…(A)。

簡単にねぇ、気にするなってよくいわれるパターンですけれども、そんな簡単なことじゃないやろ、と。そのとき初めて表情を見てて、気づくというか、わかるっていうか、大変なことなんやなって。そういう風な意味では、第三者的にっていうような感覚はあったんかもしれへんね。初めてそういうことについてそういう人たちと語るっていう場が、そういうところでしたから非常に良かったんかなぁと(A)。

(6)「自己啓発学習」後、解放大学にて当事者から講義を受けることの意味

 「自己啓発学習」後は、受講生同士のつながりや個々の受講生の問題意識が深まり、集団として学習へのモチベーションが高まる。そういった中で行われる、自身の体験や思いを語る当事者の講義に、多くの受講生は引き込まれる。ここにも、知見(iii)緊密な人間関係の妥当性が見られる。

解大という場を与えられて、しかも、同じ志のもと、勉強せなあかんというシチュエーションのもとに集まってる中でね、そういう教育を受けるというのは、確かに自分の身になって考えるというか、真剣になって考えるし、うーん、そうとちがうかなぁ(A)。

(ある講師をさして)社会教育でどこかに集まっても、「へぇ~」っていって聞いてるだけでそれで終わっちゃうと思うんですよね。そういうときに、解大というところは知りたいことを身近に聞けるし、しかも終わって講師とお酒飲みながらさらに語れる。正直なところの心を開いてくれるっていうような。そういう場の提供っていうか。人権の勉強を我々初めてする中では、ものすごく衝撃的であったし、プラスになったなぁと思いますね(A)。

(7)受講生間で行われる、フォーマル/インフォーマルな場での討議

解放大学における学びを促進する大きな要因の一つに、受講生同士の議論・討論がある。これは、「自己啓発学習」における語り合いや、講義中のグループ討議といったフォーマルなものに加え、昼休みに食事を取りながら、あるいは夜にお酒を飲みながら行われるインフォーマルなものがある。このどちらもが、意識や考え方の異なる受講生同士の相互作用を促進し、学びを深めていく。解放大学における学びは、受講生間の討議なしには成立しないといえる。ここにも、知見(iii)緊密な人間関係の影響が見られる。

在日、二世かな?、の方がいらっしゃって。で、まぁ靖国参拝の話、お酒飲みながらやってるときに(笑)、「靖国何が悪いねん」と。でまぁ、かなりお互い腹割ってね、僕ら、もう別に何が悪いねんって思ってるだけで知識がないだけ。要は自分の思い込みの世界で話してるだけで、広く知識を持っているわけじゃない。ただ、その人は、そういうことでいろいろ苦しんできたりもしている人ですから、広い知識をお持ちですよね。で、そういう人だとはじめいい合いになってましたけど、一緒の班で話してたら、人っていうものがわかってくるし、堅物でもないしね。自然体で話してる中で、「ああ、そういう考え方っていうのは一つあるよね」「いや、やっぱりそういう考え方が正しいのかもわからん」と揺らいでいくわけですよね(笑)。僕ら、知識のない中でやってるだけで、本当はこういう知識を与えられるっていうことによって、自分で判断できるようになる(A)。

(8)解放大学修了後も続く交流・情報交換

解放大学で同期だった人たちのことを、Aさんは「友だち」と呼ぶ。ともに人権について考え、学び、率直に語り合う半年という期間は、自ずと人間関係を深めていく。多くの場合、解放大学修了後もこのような関係は続いており、中でも人権啓発担当者として必要な人権教育・人権啓発に関する情報の交換は、積極的に行われている。このことは、知見(v)「反差別役割」の付与と関連している。

今でもしょっちゅう飲んだり…暇あれば(笑)。電話がかかってくるし、メールが飛んでくるし。うーん、解大の人らっていうのは、僕にとっては、そら全員が全員というのではないけれども、得た友だちっていうのはこれからも一生付き合っていくんやなっていう友達ばっかりかなぁ。そんな気がしてますね。また幼なじみとは少しちがうね(A)。

幼なじみの中でも、意外とかっこつけなあかんとことか、人間である以上はあると思うんですよ。で、まぁ、会社では当然組織の中で動いてますから、いっぱいのオブラートに包んでるわけですよ。解大の連中だと、そういうことは一切何もないんちゃうかなぁと思う。お互いね(A)。

よく聞いたりするんですが、「どんな啓発してんのん?」とかね。○○期に同企連(注:大阪同和・人権問題企業連絡会)のメンバーが4、5人おるんかな?もうちょっとおるんかな。やっぱり彼らとしょっちゅう顔合わせるんで、「研修どんなんやった?」とか聞きます。で、まぁ同じグループならビデオを見せてくれたりね。そういう情報交換は今でもしょっちゅうやってますし(A)。

(9)解放大学修了後の変化

 解放大学受講を通じて、Aさんは下記のような変化を感じている。それは家族との関係性の変化から、Aさん自身の生き方の変化にまで及んでいる。

解放大学を出てからは、飲んだときに「酔うて人権の話しかせぇへん」と友達によくいわれる(A)。 

あと、家族が「変わった」っていいますよね。亭主関白でありたかったし、亭主関白をやってましたから。解放大学でいろいろ勉強していく上で、人を思いやる気持ちを持たないかんなって自分でも意識しましたし、そういうところが良かったんかなぁと思うんですけど。子どもらから「ええ人になったなぁ」っていわれ、連れ合いも「ええ人になったねぇ」っていうてくれますしね(笑)(A)。

また、下記の言葉は、Aさんの変化と知見(v)「反差別役割」の付与が深く関連していることを示している。

でもねぇ、僕は、この「人権」てほんま、たぶんこの部署にこなかったらとっかかりがなかったと思うんですよ。で、偶然この部署に入って、解放大学に行かせてもらって、これから先の人生変わった。タバコやめたしね(笑)(A)。

(10)人権啓発担当者という役割の影響

人権問題に熱心に取り組む企業の人権啓発担当者となったAさんは、解放大学受講前に着任早々人権研修を行っていた。その後も、解放大学を受講しつつ研修を実施する機会を持っており、「学びと実践のスパイラル」が出来ていた。解放大学受講時に学びが深まったのも、修了後の学びの継続を支えているのも、人権啓発担当者という役割の影響が大きいと考えられよう。このことは、知見(v)「反差別役割」の付与の妥当性を示している。

そうそうそう。1年目にねぇ。4月に今の部署に着任して、もう5月に新任管理者研修という400人ほどの新任管理者なんですけど、集めて研修しましたからね。だから、焦ってたんは焦ってたんです。あれ、解放大学を出てからやったら、もうちょっと楽にできたんかなと思うんですけども(A)。

(11)解放大学で学んだ研修スキル

「解放大学受講により得られた、人権啓発推進リーダーとしてのスキルは?」という質問に、Aさんは下記のように答えている。解放大学の講義から様々な知識は得られても、それをどう活かすかは受講生一人ひとりに委ねられており、Aさんのようにそれを活かす場を持ち得ているか、自ら作っていけるかどうかによって、学習のモチベーションは変わってくると考えられる。

一般的な人権に関する知識っていうのは、そこそこ習得できたかなって。・・・スキル、知識というのは確かに骨格であって、いっぱい学んでそれをどう肉づけするかっていうのは、自分の腕次第というかね。リーダーとしてのワークショップとかいうのもそう。いろいろ先生方がいらっしゃる中で、ネタを作らなければいけないということを気づかせてくれたのはあるやろし、解放大学の中でそういう技術的なところも教えていただいたから(A)。

(12)社内で実施する人権研修の工夫

 Aさんは、社内で人権研修を実施する際、自社の年表を作成し資料として配布するという工夫を施している。そのことを、単に人権の大切さを伝えるより効果的と感じている。

「ああ、このときにこういう事件があったんか」「こういうときに世の中はこう動いてたんか」とかね。意外と興味深く。それはね管理者研修でも、新入社員研修でも配ってる。

だから、今までは何で当社がこの問題に取り組まなければならないのかっていうことが、ちょっと抜けていたような。やってたんやろうけれど伝わっていなかったような気がする。やっぱりそれはこういう年表みたいに書いたもんで、「こういう事件があって、社会的な背景の中で我々はやらなければいけないんですよ」「我々は当然この人権について学ばなければいけないんですよ」という話をすれば、みんな、「ふーん。そんな事件起こしてたんやな」という感じで、意外とええんちゃうかなって。自分で思てるだけかもわからんけど、意外と興味も持ってくれるし(A)。

(13)社内人権研修の難しさ<1>:無関心な社員をどうひきつけるか

 工夫をこらしつつも、人権について無関心な社員に対して、どのようにそれを伝えれば良いのか、難しさも感じている。

一番悩んだのは、社員に人権というのをどう伝えていったらええんやろ?ということ。全員が解放大学へ入れたらね、そらみんな素晴らしい人間になると思うけど、やっぱり無理ですわね。じゃあ、我々啓発推進する上で、どういう形で進めていったらええんやろうなぁって。一番、今も悩んでますし…(A)。

だからね、普通の社員の人たちっていうのは、僕の「前」の姿じゃないですか。要は、人権のことは難しい。もう第三者的にしかたぶん聞いてないじゃないですか。だから、そこにどう伝えるか?っていうのが難しい。我々が前向きに勉強してこの程度…ですからね。前向きに勉強してない、勉強しようともしない人たちが多い中でね、忙しさにかまかけてる人に何をどう伝えたらいいんやろというのは、いつも悩むところです(A)。

(14)社内人権研修の難しさ<2>:人権啓発推進リーダーの育成

さらに、社内で人権研修を行う人権啓発推進リーダーを育成することにも難しさを感じている。

指導者の育成っていうのが一番難しいですね。指導者っていうか、我々は啓発推進員って呼んでいるんですが、推進員を少なくとも我々のレベルに近づけないといけないというようなことで。我々が研修するときは3時間、半日ぐらいですね。午前中いっぱいとか。要はその、ネタ的な話とか、あるいは背景にあるものとか、細かく彼らに提供して、彼らはそのようなことを踏まえて、その中から1時間半弱ぐらいで研修する。やっぱり僕としては、彼らの言葉で伝えて欲しいし、いろいろネタを与えるだけ与えておいて、そこからこう、自分でチョイスして自分の言葉で話できるようにということを考えてるんですがねぇ。うーん。人に教えることが本人の最大の啓発ですから…(A)。

(15)社内人権研修の難しさ<3>:増える派遣社員への研修体制

Aさんの会社では、派遣社員も社員と一緒に人権研修を受講しており、社として熱心に人権研修に取り組んでいることがうかがえる。Aさんの語りにあるように、セクハラやパワハラについて研修を行うことは、派遣社員の人権を守る上で大変重要であるといえる。

(社員も派遣も)同じです。だから、研修やる時期に派遣社員がたまたま辞めてたら当然受けれないですし。いる社員だけなんですけども、大体10月から翌年の1月、2月ぐらいまでの間で、一応、社員全員を対象にと(A)。

派遣の人たちはね、・・・やっぱり、セクハラであったり、パワハラであったりという話がメインになるんでしょうかね。いわゆる「企業の姿勢」として、全員見ておられますから(A)。

(16)企業が人権研修を行うことの意味

そのような難しさを感じつつも、企業が人権研修に取り組むことにはどういった意味があるのだろうか。その一端を示すAさんの下記の言葉は、大変重い。

当たり前の話なんやけど、差別される方が運動してもしゃあないしね。する側が運動していかないとほんまに差別ってなくならへんなぁと思うし(A)。

(17)解放大学で出会った、地道に運動に取り組む部落解放運動関係者の姿

最後に、「飛鳥会事件」等とその報道を受け、人権教育・人権啓発推進に携わる人々が今日抱えているだろう課題を乗り越えるための一つのヒントとなる、Aさんの次の言葉を紹介する。解放大学という空間での、部落解放運動関係者との豊かな出会いによりAさんの認識が生まれているといえ、知見(iv)「部落出身者-部落外出身者」の接触の妥当性が示されている。

あちこちで研修してる中で、「こういうことをいわれてるんですけれども、これについてもちょっと触れてください」とかね、いろいろ要望が主催者側からあるんですよ。やっぱり、「どこもかしこもそうなんちゃうんかい」というような話が出てくるから…。我々は、気持ちの中で当然わかってますし、話聞いてね、理解はできているんですけれども、じゃあ具体的にどういうネタを持って伝えたらいいかなぁっていうのは、非常に難しかったですね。

だからもう、ベタベタな話なんですが、本当に地道な活動をされている方たちの話を伝えるしかない。「真面目にやっておられる方、いっぱい知ってますよ」と。「汗水流して一生懸命やっておられる方、いっぱいおられますよ」「この話で悔し涙、流している方、この目で見ましたよ」っていうような話から入っていかないと、なかなか理解してもらえないというような事実はありますよね。・・・解大で関わった人は、みんな地道にやられている方ばかりじゃないですか(A)。


2 Bさんの語りから

(1)解放大学派遣にあたっての上司から肯定的なメッセージ

Bさんは行政職員であり、人権啓発課への異動により解放大学を受講している。その際、上司から「人権啓発担当者」としての役割と解放大学の学びの意味を、非常にポジティヴに意識づけられている。ここには、知見(v)「反差別役割」の付与の影響が見られる。

一昨年の4月に人権啓発課に異動になって、それで「人権担当者として解大に行くように」というような指令が出ました。うち、みんなそうですけど、うちの部署に異動してきたら、「まず解大に」ということなんで。(B)。

特にめんどくさいとか、そういう気持ちはなく、僕の中で、仕事というような気持ちやったんで、「ま、行こかな」という前向きな感じでした。で、うちの課長も次長も卒業生ですんで、解大に対して特に悪いイメージ持ってなかったんで、「行ったら友だちできて楽しいよ」という感じです。だから、課長とかも、どっちかいうたら人間関係作りじゃないですけど、「お互いに情報交換できる仲間を作りに行くところやから」っていってくれて、「特に行政でない企業さん、同企連のメンバーとかは、かなり自分が担当やという意気込みで来てはる人が多いから、そういう人からいろいろ影響を受けてきたらええんちゃうんか?」という形やったんです。ま、気ぃよう送り出していただいて、僕も気ぃよう受講させてもらってたというような感じですね(B)。

(2)運動団体との日常的なやりとり

Bさんは、労働組合活動の関係で、解放大学受講前から部落解放運動の関係者と日常的に接触があった。そのためか、開講式に緊張などは感じなかったそうだ。ここには、知見(i)関与の強さがもたらす影響の関連が見られる。

 今、職場の方で労働組合とかも結構力入れてやっているので、普段から解放同盟支部の方とも結構お付き合いとかもあるので、そういう、特に挨拶とかは気にならなく聞いておりましたけども(B)。

(3)「自己啓発学習」が一番良かった

Bさんは、解放大学の全プログラムの中で、「自己啓発学習」が一番良かったと述べている。「自己啓発学習」を通じて、自分自身を見つめ直し、今まで意識していなかったことを意識出来るようになったと感じており、そのことが人権啓発担当者としての転換期となったそうだ。

僕の中で、この29回の講義の中で、自己啓発学習っていうのが一番良かったかなぁという風には思ってます。なかなか自分自身を見つめ直すこととかって、普段やってるようでやってないんですよね。だから、自分が人権とか部落についてこう思ってると思い込んでるんやけども、そのことについて、あまり自分自身を見つめ直すこととかなかったんで、そういう意味では、部落の出会いとか、そういう自分のルーツみたいなものを探すっていうのは、本当に良かったかなぁと。

自己啓発学習は、本当に人数的にも4人、助言者入れて5人っていうのが、すごい話しやすかったですし、うちの班は、助言者にも恵まれたというか、ほんとに、メンバーにも恵まれてたんか知らないですけど、すごいいい啓発学習になって、それぞれみんな自分の中で、ほんとに親家族にもいえないような内容のことまで最終的には話せる関係になってました。ほんとにもう、涙なしには…という感じで、みんなもう、ハンカチ濡らしながら話し合ってたというような形やったんで、僕自身もこれはすごい良かったなぁと(B)。

今まで意識せずに、しゃべってたりとか聞いてたりしてたんで、逆にもしかして俺、不用意な発言とかしてなかったかなぁって、すごい考えたりしましたね。ふと何の気なしにそういう差別的なことをいってたりするじゃないですか。だから、受けて良かったなと思いましたね。部落だけにかかわらず、女性とかでもそうやけど、知らんかったらね。この前も失言してた人いてましたけど、「女性は産む機械」じゃないですけど、そういう感じで、知らんとぽろっというてまうでしょ。そういうのが意識出来るようになったことが良かったなと(B)。

 僕の中でやっぱり、人権担当者としても一つの転換期になりましたね。すごい変わったなぁと思います(B)。

(4)「自己啓発学習」における助言者の役割

そのような学びを可能にした「自己啓発学習」における助言者の役割を、Bさんは確かに感じている。

 確かにね、最初は固かったんですよ。みんな建前的な発言が結構多かったんですけど、やっぱり助言者の方が良かったんかなぁ。その辺うまく引き出してくれたのか、誰かがいい始めたら、みんな堰を切ったようにいい始めたじゃないですけど。だから、たぶんそういうポイントはあったんでしょうね。

(5)「自己啓発学習」で書き、語り合うことの意味

 そして、Bさんは「自己啓発学習」において、感じたこと、考えたことを書き、それをもとに班員と助言者で語り合う作業を何度も繰り返したことを、印象深く感じている。

みんなで書いてきて、それを深く考え直すというか。自分で考えながら書いてきてはおるんやけど、もう一度そこでよく深く考えるというか。練り込むというか。書いて、考えて、また出して、みんなで話をして、また書いて考える。何回も書く。毎回書き直しですね(B)。

終わって、話し合って盛り上がってるのはええけど、みんな帰ったらまた来週書いてこなあかんわというのはしんどい作業でもありましたけどね(B)。

(6)「自己啓発学習」を通じて変化していった班員の様子

感じたことや考えたことを書き、ともに語り合う作業を何度も経て受講生一人ひとりが作り上げる「自己啓発学習」の文章は、自分の生い立ちや差別問題との関わり、思い等を自分の言葉で綴ったものへと変化していく。それは、今まで意識化されていなかったことが、意識化されていく過程であるといえる。これを可能にしているのは、「自己啓発学習」という空間を共有しているメンバーとの関係性の深まりである。ここには、知見(iii)緊密な人間関係の妥当性が見られる。

僕らの班の○○さんは、もう、ほとんどスタートと終わりでは全然違う内容になってましたし、◇◇さんとかも全然違うというか、新しいご自身のこととかも話されたんで。それも最初は、◇◇さんは人権系のどっかの本を丸写ししてきたような内容やったんですけども、そういうやりとりをしている間に、もう全く全然違う、ご自身の重たい話ね、だいぶされて。その内容になってました。そういう意味ではみんな、最初と終わりでは全面改訂みたいになってね。途中、「めんどくさいなぁ」とかいう話もありましたけどね(笑)(B)。

(7)同和地区出身の友人と改めて同和問題について語った経験

Bさんは、「自己啓発学習」で自分自身を見つめ直すことを通じて、同和地区出身の友人と同和問題について改めて語り合ったそうだ。自分の内面を振り返ることや職務として人権啓発を行うだけではなく、一個人として人権という観点から実際に行動を起こしたという点が興味深い。これはBさんだけの行動ではなく、助言者や班のメンバーがお互いを励まし合う中で、複数の人が行ったようだ。ここにも、知見(iii)緊密な人間関係の妥当性が見られる。

彼はもともとうちの近くの○○支部で解放運動をやってた子なんやけども、・・・労働組合の活動をしてたんで、僕とは組合活動でよく顔を合わせてて、わざわざ会いに行ったわけではないんやけど、仲は良かったんで、そのときに僕の思いを話しましたね。今でもね、そういうこともあったからかもしれないけど、お互い親友同士というか、互いに近い隣同士の市町村ですからね、常に情報交換はし合っています。連絡は普通に取り合ってます(B)。

 うちの班はそういう雰囲気ありましたね。○○さんも、僕と違うんですけども似たような体験があって、絶縁状態になっているというご友人がいました。それも別の班の助言者がその絶縁状態になっている友人の居所を探してきてくれて、○○さんはそれで連絡を取らなあかんという状態になったりして(笑)。で、僕が(友人と話を)やったものだから、「次、○○さんやね」とか、そういう雰囲気があったというか。なんていうか、それは別に義務的でもないし、自然とそういう感じになったんですよね、うちの班は(B)。

(8)自分の体験や思いを語る/人の体験や思いを聞くという「語りの相互作用」

「自己啓発学習」では、自分の体験や思いを話すことと、人の体験や思いを聞くことはセットである。自分のことを語るのは大きなパワーを使うが、人の語りを聞き、受け止めることもまた大変なパワーを要する。それにもかかわらず「自己啓発学習」においてこの作業が可能となるのは、メンバー同士の連帯感や信頼関係が生まれる中で、語りの相互作用、連鎖反応が起こっているからだと思われる。ここにも、知見(iii)緊密な人間関係の妥当性が見られる。

 いわゆる相談とかで、相談者が来て、一対一で相談者の話を聞いたらすごいしんどくなるじゃないですか。もうめちゃめちゃ負のオーラを浴びて…。でも、この自己啓発学習におけるときっていうのは、なんていうんですかね、負のオーラじゃないんですよね。みんなが前向きに発言をしてるから、確かに重たい、内容的には重たい、負の内容なんやけども、みんながそれをプラスに変えたじゃないけど、前向きに思っていうてるんで、受け止める方もそんなにしんどくないというんか、全然しんどくないっていうか。お互い共有し合えてたんじゃないかなぁというね(B)。

(9)解放大学修了後の修了生同士の情報交換

解放大学修了後も、Bさんは修了生同士で情報交換や交流を続けている。それは、お互いの人権に関する実践を確かめ合う場でもあり、解放大学での出会いをきっかけに、行政や企業といった組織の枠を越えて、顔の見える人権のネットワークを構築している過程ともいえる。ここには、知見(ⅴ)「反差別役割」の付与の影響が見られる。

卒業してからも飲み会とかで一緒に会ってるんで、常に情報交換とかは出来てるかなと。「今何やってんの?」みたいな感じでね、情報交換はし合えてるかなぁというぐらいのところで。その都度、これからね、頼っていくことがやっぱりどんどん出て来るかなぁという風にも思いますね(B)。

解大に来て、実際に同企連の担当者の方とかとね、知り合う機会があって。「すごい力入れてはるな」と思って、そういう人らが見えてくるようになったら、逆に同企連から送ってくる文書とかでね、知ってる顔とか見ると、「ああ、頑張ってるな」というような感じで(B)。

(10)不祥事とその報道を受けて

これまで行われてきた人権教育・人権啓発の地道な積み重ねに対して、「飛鳥会事件」等の不祥事とその報道はマイナスの影響を実際に及ぼしているようだ。そのような中で人権教育・人権啓発をさらに推進するためには、地域で人権に関する活動をしている人たちを支えるべく、これまでの人権教育・人権啓発の成果を共有し、人権の重要性についてより多くの人に理解を深めてもらうよう働きかけ、活動の裾野を少しずつ広げていくことが必要である。

今回の報道の中では、他の同僚とかよりも、うちの○○市の人権関係の企業さんの団体があって、そこの会長さんとかが、ま、「辞めたい」と。で、「何でですか?」って話したら、「会社内での風当たりが強い」と。だから、全然関係ないんやけども、他の人から見たら、「部落あかんよ」みたいな報道されてんのが、イコールもう「人権をやってる人もあかんよ」みたいな感じで見られて、結構あの報道の中でいうと、地域とかで地道に人権活動してる人たちに対しても結構風当たりが強くなってしまって。その中でいったら、くじけてしまった人もきっとおったんかなと。・・・一般の市民からしたら、人権といっても「イコール解放運動やろ?」みたいなとこもきっとあったりとかして。ま、影響は少なからずあったんかなと思います(B)。

わかる人にはわかってるんやろうから、そういうところで、仲間を少しずつでも増やしていくとか、輪を広げていくしかないんかなぁというね。どうしても、それで「解放運動あかんやろ」という気には僕自身は全然なってないんで(B)。

(11)市民対象の人権研修の企画

解放大学修了後、人権啓発担当者として市民対象の人権啓発を企画する立場にあるBさんは、フィールド・ワークを実施する際の難しさを下記のように述べている。まず広く人権に興味を持ってもらい、より多くの人に人権研修に参加をしてもらう仕掛けを作っていくことは、人権教育・人権啓発を推進する上でとても大事なことであり、このことはそれに携わる多くの者が共有する課題であるといえる。 

そうですね。僕はやっぱり職員としてね、フィールド・ワークとか行ってるので。僕自身が行ったときとかって自分の知らないこととか、新しい発見とかあったりしたら、すごいおもしろいなぁっていう風に思うんで、(解放大学のフィールド・ワークで行った)水平社博物館も、あんまりゆっくりこれまで行ったことがなかったんで、行ったりしてみたらおもしろいなぁという風に思いますけど、自分が担当者として市民の方を連れて行くときは、勉強だけ、学習だけになると、また来てくれなくなったりとか、印象がずっと勉強ばっかりさせられたとかになって、それがマイナスになって学んだことまでマイナスのイメージになったりとかするんで、どうしてもこう、お昼はおいしいところにしようかとか(笑)、帰りにお土産買えるところに寄らなあかんなとか、そういうのを遊びにならないように織り交ぜていかなあかんというとこは、やっぱり今すごい考えたりしますね。あんまり昼食ばっかりメインになってもまずいし(笑)。かといって、学習をメインにすると人も集まりにくくなるしっていう、その辺のバランス感覚っていうんですかね(B)。

(12)人権を軸にしたまちづくりに、団塊の世代をいかに活用するか

Bさんは現在、人権を軸にしたまちづくりを企画し、そこに団塊の世代のパワーを活用することを考えている。この点は、今後人権教育・人権啓発を推進していく上で非常に重要なテーマであるといえる。

 僕は、まちづくりっていうことにも携わってまして、で、なかなか人権ちゅうのはわかりにくいかなぁというところで、最近はまちづくりの中でも団塊の世代にテーマを当てて、人権も絡めながら、そういうまちづくりができたらいいなぁということを思っています。またこの3月ぐらいに市長に対してプレゼンをしていくというような形にはなってます。

 ま、一般的にいわれている2007年度以降、団塊の世代の方が大量退職を迎えていく中で、いろんな自治体さんがその辺対策を練ってるかなと思うんですけど。大きいとこでは愛知県とか。そういう団塊の世代を対象にした事業ってのを運営してるんです。この間、堺市で「団塊世代学校」みたいな、「地域入塾式」というようなのをやってまして、うちもそういう風な形で出来ればいいなぁということで、ちょっと企画をして、やっていこうかなと(B)。

3 Cさんの語りから

(1)機会があれば受講したかった解放大学

 Cさんは行政職員であり、解放大学を以前から受講したいと感じていたが、「費用と時間の拘束の問題」でそれが叶わずにいた。

解放大学については、かなり以前から個人的に知っていました。機会があれば、とにかく行きたいなというのは正直いってありました。やっぱり、いろんなチラシとか研究所から出してはるじゃないですか。それを見て、講師陣やカリキュラムを見させてもらって、「機会があればぜひとも学習したい」と思っていました。

ただ、費用と時間の拘束の問題なんですね。仕事をしながら解放大学へ行くというのは、基本的には不可能に近いですよね、社会人には。学生時代か、もしくは仕事としてバック・アップしてもらえるなら行きたいなということはあります。それが2年前、機会が与えられて受講することができ、すごくありがたかった。チャンスだと思いましたね。バック・アップがあっての話ですから(C)。

(2)「自己啓発学習」における助言者の役割

下記は、「自己啓発学習」に臨む際の助言者の言葉により、Cさんの心に起こった変化の過程である。差別に対する本音を語り合う「自己啓発学習」を促進する助言者の役割が、いかに重要であるかがよくわかる。

まず、「本音を出してくれ」といわれました。自己啓発の小グループあるじゃないですか。そのときに、助言者の方が、「自己啓発はこういう学習で、このグループでこういうことをやっていきますよ」ということを、まず最初に伝えてくれました。とにかく、「包み隠さず」といったらおかしいけど、「自分の殻をまず取らなければ、自己啓発はできないんだ」と。それを助言者の方が、自己啓発の学習の助言者をされてきた経験を踏まえて伝えてくれたんですね。

「自分の殻を、まず破って出て来てください。本音を出さなければ何も見えません。当り障りのない、あるべき論になる。そんなのはいらないです」と、かなり強くいっていただけたんです。・・・正直いって、講義もすごく楽しみにしてたし、ためにはなったんですけど、やっぱり「大学」といわれる所以は、そこの生徒同士のコミュニケーションというか、啓発の討論、ディスカッションがあってこそ、参加した甲斐があると思っていました。だから、助言者の方のアドバイスを聞く中で、私の中で自己啓発は「楽しみ」として位置づけられました(C)。

(3)印象深い「殻を脱ぐ」作業

「自己啓発学習」によって、自分の殻を脱ぐ(自分の内面に潜む差別意識や、被差別体験などから感じた自分の辛い気持ち等を吐き出す)作業を共同で行う。本来、葛藤や痛みを伴うであろうこの作業を、メンバーや助言者との間に築かれた信頼関係の中で行っていくことが、自分に対する信頼・自信へとつながると思われる。これは、差別/被差別の両方の意味において、失われていた自分を取り戻すエンパワーのプロセスといえ、ここには、知見(iii)緊密な人間関係の影響が見られる。

それで結局、レポートを書き始める中で深められていくわけですよ。自分の建前とか体裁とか、繕いが。グループ討議される中で、助言者から指摘される中で、建前や繕いが本音でないと指摘されるわけですね。そこでみんな殻を脱いでいくわけですよ(C)。

批判も含めて、「そこは本音ちゃうやろ」「なんでそんなええかっこするねん」「うっそー」とかいいながら。時間を経るごとに、自分のボロがどんどんはがれていく。それぞれ辛かったと思いますけど、時間や議論の中身が感覚を変えていったんでしょうね。だからいわれることが嫌じゃなくて、「もっといってください」という気持ちになったのもあります。私だけかもしれないけど(C)。

(4)率直な「自己啓発学習」でのやりとり

下記は、「自己啓発学習」の学びが、メンバーの率直なやりとりの中で構築されていくことを示す言葉である。

自己啓発は、差別的な経験を振り返って「どうにかしたい」という内容だから、本当に正直にしゃべってくれはるよなぁと思いました。それを出さなかったら、全然意味のない話やから、あえて出そうという雰囲気があって、みなさん話してくれましたから(C)。

(5)自分の立場性を伝えた「自己啓発学習」

 Cさんは同和地区の出身であり、そのことを伝えたのは「自己啓発学習」においてであった。そのときの気持ちを、下記のように振り返っている。

(同和地区出身であることは)自己啓発の中で伝えていったと思います。最初はやっぱり迷いはありました。それは、伝えたくないという意味ではなくて、伝えることによって、同じグループの方、6、7人ぐらいなんですけど、自分の出身、立場性を明らかにすることで、かえってその人たちが本音を正直に出しにくくなるんじゃないかと。

正直いって、自己啓発の場合、自分がどういう体験をしてきたかを含めてあからさまに出す中で、「こう考えましょう」「いや、そうじゃないんじゃないか」「あなたの考え方はそのとおりや。自分ならもっと辛かったかもしれない」など、ぶっちゃけた話をして高め合っていく場だと思いましたので、自分が出身だと伝えることが、グループのみなさんの意見を押し留めるのではないかと迷いました。ただ、それを伏せての自分の自己啓発はあり得ないので、あえて出すことにしました。そこは、たぶんわかっていただけただろうと思います(C)。

(6)自分の立場性を伝えるかどうかは、個人個人に委ねる部分

「自己啓発学習」において、同和地区出身者をはじめ様々な人権課題の「当事者」となる人とともに学びのプロセスを共有することは、多くの受講生にとって非常に大きな学びにつながる。

なぜなら、お互いに気持ちを思いやる関係性が生まれつつある中で、社会に存在し、知らず知らずのうちに内面化してきた自分の差別意識に気づく経験、また、その自分の差別意識がダイレクトに影響を与える人から、その人がこれまでの人生で感じてきた思いや体験をじっくりと聞く経験は、差別問題に対して自分が第三者的な立場を取り続けることに疑問を投げかけ、立場性の問い直しを促すからである。「自己啓発学習」という試みそのものが、知見(iv)「部落出身者-部落外出身者」の接触を体現しているといえ、これは、同和問題に限らず、様々な人権課題についてもあてはまる。

だが、この前提として、解放大学という場が安心して何でも話すことができる空間となっているかどうかが大変重要であるし、そうなった場合でも、全体の学びを深めるための役割を「当事者」に期待し、押しつけるのではなく、一人ひとりを大切にし、一人ひとりの力を信頼し、委ねることが必要である。

おっしゃるとおり、非常に微妙なバランスの中で判断せざるを得ないと思います。個人の性格を含めて、そこはあるんですよね。私みたいな性格だったら、まず自分を出さないと自己啓発にならないという思いがあるから。結果がどうなろうとも、自己啓発の学習の場に身を置く限りは、そのことを伝えなければ私はもういないことと一緒やから。極端だけど、相手がどう考えようと、私自身は出さなければならないという考えなんですね(C)。

だから、そこはもう一人ずつ別で判断してもらう。だから私の判断もしたという風に思ってる。○○さん(事務局)からは、「こういう話して」とか一切ないです。それが、○○さんの愛情やったし、「Cさんの思ったとおりにしたらいいから」と。それは私だけじゃなく、誰に対してもですよ。それが○○さん個人の考え方じゃなくて、解放大学の考え方。部落出身の子も来れば、在日の子も来るだろうし、障害を持った方も来られるだろうし、もちろん行政も来るし。その人がそのまま素になって語れる場所が、自己啓発だという理解を私は出来ましたね(C)。

(7)「自己啓発学習」が後半の講義を豊かにする

解放大学のプログラムは、前半に「自己啓発学習」があり、後半に様々な人権課題に関する講義が続く。講義の中では議論の機会が幾度となく設けられており、「自己啓発学習」で深まった関係性は後半の講義をより豊かなものにする。ここには、知見(ⅲ)緊密な人間関係の影響が見られる。

何やかんやいうても、人間関係じゃないですか。人間関係を作り上げるために自己啓発も必要だった。もちろん、これだけのカリキュラムの中ですから、いずれ人間関係は出来ていくでしょうけど。○○さん(事務局)も率先して、「とにかく飲み会をしなさい」といってくれてはりましたし(笑)。

だけど、いずれ人間関係はできていくんだけれども、ちょっと中味のあること(自己啓発学習)が前半にあっただけに、後がすんなりいくんですよね。だから、自己啓発の時期は後半よりも前半の方が後の議論が深まる。後半のカリキュラムの中でもそうですけど、それぞれのグループの中で結論や意見を出しなさいというのが講義の中で出てきますから、その中で人間関係、仲間関係が出来てくると、議論が活発になっていくんですね。そういう意味でも有効やったと思います(C)。

(8)人権啓発に関する悩みを出せるかどうかが、解放大学における「学び」のターニング・ポイント

解放大学の学びが、より深いものとなるかどうかのターニング・ポイントを、Cさんは人権啓発に関する悩みを解放大学の中で出せるかどうかだと感じている。人権啓発担当者として、主体的に解放大学を活用する意志があるかどうかが、学びの質を左右するということだろう。知見(iii)緊密な人間関係と、知見(v)「反差別役割」付与が、人権に関する学びを深めるといえる。

企業の人が結構来られている中で、解放大学というのは「与えられる、教えてもらえる」というイメージが強いわけだけれど、・・・本当は、自分が持っている(人権啓発についての)悩みをこの場で出せるかどうかが問題なんです。自己啓発を通じて、そういう仲間関係が出来たといえども、自分の悩みが出せないのなら結局フラストレーションが起きるし、最終日程を終えて「良かったね」と終わっても、職場に戻ればまた悩みます。

本当のところの悩みを、解放大学のカリキュラムの中で出してもらわない限り、その人にとっての値打ちが半減してしまうんです。この解放大学がその人にとって本当に良かったか、プラスになったのか、フラストレーションを残しながら帰るのか、解放大学を主としている研究所にとっては、そこがキーだと思います(C)。

(9)企業における人権教育・人権啓発活動の位置づけについて

企業の人との出会いを求めていたCさんは、企業の人権教育・人権啓発の取り組みが組織的であること、社会的責任に積極的に取り組んでいることに感銘を受けている。

解放大学に人を送り込んできている会社というのは、やはりある程度の意識を持っているところ。解放大学を受講した人たちが研修担当となって現場に戻るわけだから、そういう意味では企業の研修プログラムというのは非常にきっちりしてると思う(C)。

例えば、新入社員100人を対象に研修をすれば、1人や2人は変わっていくことがある。100人が100人とも変わるわけがないけれども、1人でも2人でも変わる。全然やってないところは誰も変わらないけど、大企業はやっぱり1人や2人でも変わっていく。その1人や2人がまた変えていくということで、そういうバック・アップが企業にはある。企業は社会的な責任を負ってますからね。企業の中で、人権問題を解消する立場と利潤追求とを両立させることが企業のこれからの生きる道なんだと、広く浸透してるわけです。そういう感覚を研修に活かして、社内の研修プログラムをしっかり行っている(C)。

(10)同じ行政の立場で効果的な人権啓発のあり方を考え続ける仲間の存在

 また、Cさんには、解放大学の同期生で、同じ行政の立場から効果的な人権啓発のあり方について考え続ける仲間がいる。解大修了生が人権啓発推進リーダーとして様々な場面で活躍している様子がうかがえ、ここにも、知見(iii)緊密な人間関係と、知見(v)「反差別役割」付与の影響が見られる。

そうそう、ありますよ。つい先日も、同じグループで○○のメンバーと。その人も人権啓発担当で。・・・1月に入って、郵送してくれたものがあって、私が自分の職場でやり切れないことで「こんなことをしたら面白い」と2人で話したものを、彼が実際にやってたり。成人式あるじゃないですか。要するに、「市民啓発」というてるけど、どれだけの人が来てくれるんだという話。講演会とか。何かを宣伝したときに、何人の人の目に留まるねんと。費用対効果ですやん。行政って必ず、そのお金に対してどれだけの効果があるねんという効果測定をしないといけない。自己評価という話もあるけど、効果測定もしないと。費用対効果のね。

例えばですけども、100万の金を使って100人が講演会にきた。形的には100人来てるからという話になるかもしれないけど、100万使ってるわけやから、1人1万円かかってるわけです。その1万円が本当に有効なのかどうか。無駄とはいわないけど、その1万円があったらもっと有効なことができるんじゃないの?ということを、行政というのは絶えず考えていかないとあかん。行政だけじゃなく、研究所でも一緒ですよね。限られた費用の中で、どれだけの成果を生むのかという話ですよね。

そうなったときに、とにかく対象者を増やさなあかんなというのがあって、特に今人権離れというたらおかしいけど、冷めている若い世代にどないアピールしていくんだと。そこで、「成人式はどこの市もやってるよなぁ」という話になり。結構、今成人式に若い人来てますし。ここでどう人権課題をアピールできるだろう?と。時間もらって、「今の部落問題は…」といっても、成人式で誰が聞くんだという話じゃないですか。そこで、税金のしおりや市民憲章や記念品を入れて渡す封筒の中に何か入れられないだろうか?という話になり、心に届くような言葉を入れたら?という話になったんです。

人権啓発を、特に若い子らにどう入れていったらいいんだろうというのは、彼の悩みだった。例えば、PTAなら組織があるわけやから啓発しやすい。だけど、不特定多数の市民にどうして啓発するのかというときに、成人式という一つの切り口から、何ができるだろうかということ。「◇◇でもやったら?」といわれてます。そういうつながりがあるんですよ。

こういうことが自信につながっていると思うんですよ。悩みを話す中で、突破口を見つける。そのとっかかりが解放大学であり、ここでお互いの考え方を出し合って、同じ行政という立場で話が膨らんでいくわけですね。今でもそういうつながりというのはあります。企業とは仕事柄、一致点が少ないので、なかなかですが(C)。

(11)子どもたちに伝えるべきは「人の嫌がることをしない」という原則

 市民対象に人権啓発を実践しているCさんは、今の子どもたちに同和問題について伝えるためには、「人の嫌がることをしない」という、あらゆる人権課題の克服と共通する原則を伝えることが必要ではないかと感じている。 

今の小学校高学年の子どもたちに、部落問題を正しく教えなければならないということで、「部落差別は…」「同和地域は…」というよりも、この子たちにいじめをしない感覚を持たせるためにはどうしたらいいんだろう?と、そこにつっこんでいく方がいい。ときには、あえて部落問題をよけてでもやらなければいけないと思ったりするんですね。その感覚が、ひいては部落問題を理解するいわばベースになる。思考回路のベースになるわけです。

いじめといったら、要するに、「自分がされる側に立ったらどうするんだ?」とまず考えさせるような仕組みがあるじゃないですか。「人の嫌がることをしない」という大原則に立ち戻れるかどうか。自分がされて嫌なことを人にはしない。だから人に嫌なことはしない。この理屈を子どもたちに持たせられるかどうかを問うわけじゃないですか。それがわかれば、部落問題もわかりやすいですよね。だから、その年代に応じた人権学習のカリキュラムが、今ある意味求められていると思います。時代の流れで、それが大事ならば、部落問題をおいてでもやる。そこが人権課題といわれる部分の共通項目やから(C)。


4 解大修了生の語りから見えてくる、学びとその効果について

1から3において、Aさん、Bさん、Cさんの語りより、解放大学における学びとその思いを描くとともに、冒頭の知見(i)関与の強さがもたらす影響、(iii)緊密な人間関係、(iv)「部落出身者-部落外出身者」の接触、(v)「反差別役割」の付与の妥当性を示した。

以下に、解大修了生へのインタビューから見えてきた、当該研修が促す「学び」の要因の析出を試みる。これにより、有効な人権教育・人権啓発を行うための手がかりを提示する。

1 「自己啓発学習」の意義

 Aさん、Bさん、Cさんの語りからわかるように、解放大学における「自己啓発学習」の意義と効果は非常に大きい。

「自己啓発学習」によって、自分の殻を脱ぐ(自分の内面に潜む差別意識や、被差別体験などから感じた自分の辛い気持ち等を吐き出す)作業を共同で行う。本来、葛藤や痛みを伴うであろうこの作業を、メンバーや助言者との間に築かれた信頼関係の中で行っていくことが、自分に対する信頼・自信へとつながると思われる。これは、差別/被差別の両方の意味において、失われていた自分を取り戻すエンパワーのプロセスといえる。

部落問題に対して、・・・自分であまり意識してなかった中で、こう、呼び起こしっていうか、振り返りというか、まぁ、まさにその記憶をたどっていく作業があったことが非常に良かったんかなぁって思いましたね。いろいろ文面にも書いたんですけど、忘れたいことや忘れてしまっていることをだんだん呼び起こす作業。あれが一番衝撃的いうたら衝撃的でしたね。振り返りなんかやったことなかったですから(A)。

僕の中で、この29回の講義の中で、自己啓発学習っていうのが一番良かったかなぁという風には思ってます。なかなか自分自身を見つめ直すこととかって、普段やってるようでやってないんですよね。・・・自己啓発学習は、本当に人数的にも4人、助言者入れて5人っていうのが、すごい話しやすかったですし、うちの班は、助言者にも恵まれたというか、ほんとに、メンバーにも恵まれてたんか知らないですけど、すごいいい啓発学習になって、それぞれみんな自分の中で、ほんとに親家族にもいえないような内容のことまで最終的には話せる関係になってました(B)。

グループ討議される中で、助言者から指摘される中で、建前や繕いが本音でないと指摘されるわけですね。そこでみんな殻を脱いでいくわけですよ(C)。

批判も含めて、「そこは本音ちゃうやろ」「なんでそんなええかっこするねん」「うっそー」とかいいながら。時間を経るごとに、自分のボロがどんどんはがれていく。それぞれ辛かったと思いますけど、時間や議論の中身が感覚を変えていったんでしょうね。だからいわれることが嫌じゃなくて、「もっといってください」という気持ちになったのもあります。私だけかもしれないけど(C)。

2 「自己啓発学習」という学びを支える要因:様々な人権課題の「当事者」との出会い

「自己啓発学習」において、同和地区出身者をはじめ様々な人権課題の「当事者」となる人とともに学びのプロセスを共有することは、多くの受講生にとって非常に大きな学びにつながる。なぜなら、Aさんの語りからわかるように、お互いに気持ちを思いやる関係性が生まれつつある中で、社会に存在し、知らず知らずのうちに内面化してきた自分の差別意識に気づく経験、また、その自分の差別意識がダイレクトに影響を与える人(当事者)から、その人がこれまでの人生で感じてきた思いや体験をじっくりと聞く経験は、差別問題に対して自分が第三者的な立場を取り続けることに疑問を投げかけ、立場性の問い直しを促すためである。

だが、この前提として、解放大学という場が安心して何でも話すことができる空間となっているかどうかが大変重要であるし、そうなった場合でも、全体の学びを深めるための役割を「当事者」に期待し、押しつけるのではなく、一人ひとりを大切にし、一人ひとりの力を信頼し、委ねることが必要である。このことをCさんの語りが示している。

簡単にねぇ、気にするなってよくいわれるパターンですけれども、そんな簡単なことじゃないやろ、と。そのとき初めて表情を見てて、気づくというか、わかるっていうか、大変なことなんやなって。そういう風な意味では、第三者的にっていうような感覚はあったんかもしれへんね。初めてそういうことについてそういう人たちと語るっていう場が、そういうところでしたから非常に良かったんかなぁと(A)。

だから、そこはもう一人ずつ判断してもらう。だから私の判断もしたという風に思ってる。○○さん(事務局)からは、「こういう話して」とか一切ないです。それが、○○さんの愛情やったし、「Cさんの思ったとおりにしたらいいから」と。それは私だけじゃなく、誰に対してもですよ。それが○○さん個人の考え方じゃなくて、解放大学の考え方。部落出身の子も来れば、在日の子も来るだろうし、障害を持った方も来られるだろうし、もちろん行政も来るし。その人がそのまま素になって語れる場所が、自己啓発だという理解を私は出来ましたね(C)。

3 「自己啓発学習」という学びを支える要因:率直なやりとり

「自己啓発学習」の学びは、Cさんの語りにあるように、メンバー間の率直なやりとりの中で構築されてこそ意味がある。

自己啓発は、差別的な経験を振り返って「どうにかしたい」という内容だから、本当に正直にしゃべってくれはるよなぁと思いました。それを出さなかったら、全然意味のない話やから、あえて出そうという雰囲気があって、みなさん話してくれましたから(C)。

4 「自己啓発学習」という学びを支える要因:書き、語り合うことの意味

 Bさんの語りにあるように、率直なやりとりの中で、感じたこと、考えたことを文章にし、それをもとにメンバーと助言者で語り合うといった作業を何度も繰り返すことが、「自己啓発学習」の学びを深めていく。

みんなで書いてきて、それを深く考え直すというか。自分で考えながら書いてきてはおるんやけど、もう一度そこでよく深く考えるというか。練り込むというか。書いて、考えて、また出して、みんなで話をして、また書いて考える。何回も書く。毎回書き直しですね(B)。

終わって、話し合って盛り上がってるのはええけど、みんな帰ったらまた来週書いてこなあかんわというのはしんどい作業でもありましたけどね(B)。

5 「自己啓発学習」という学びを支える要因:

自分の体験や思いを語る/人の体験や思いを聞くという「語りの相互作用」

「自己啓発学習」では、自分の体験や思いを話すことと、人の体験や思いを聞くことはセットである。自分のことを語るのは大きなパワーを使うが、人の語りを聞き、受け止めることもまた大変なパワーを要する。それにもかかわらず、「自己啓発学習」においてこの作業が可能となるのは、Bさんの語りにあるように、メンバー同士の連帯感や信頼関係が生まれる中で、語りの相互作用、連鎖反応が起こっているからだと思われる。

いわゆる相談とかで、相談者が来て、一対一で相談者の話を聞いたらすごいしんどくなるじゃないですか。もうめちゃめちゃ負のオーラを浴びて…。でも、この自己啓発学習におけるときっていうのは、なんていうんですかね、負のオーラじゃないんですよね。みんなが前向きに発言をしてるから、確かに重たい、内容的には重たい、負の内容なんやけども、みんながそれをプラスに変えたじゃないけど、前向きに思っていうてるんで、受け止める方もそんなにしんどくないというんか、全然しんどくないっていうか。お互い共有し合えてたんじゃないかなぁというね(B)。

6 「自己啓発学習」という学びを支える要因:助言者の役割

 「自己啓発学習」という学びを支える要因として重要であるのが、助言者の存在である。助言者なくして「自己啓発学習」は成立しない。AさんやCさんの語りからもわかるように、助言者は、受講生がスムーズに「自己啓発学習」に入ることができるように誘い、自分の偏見や差別意識への気づきを促し、受講生の思いを受け止め、「殻を破って出て行く」後押しをする。

 僕の場合は、母親から(マイナス・イメージの)刷り込みをやられたんですけれども、先生に「お母さんだけじゃなくて社会がそういう雰囲気やったっていうことはなかったですか?」っていわれたときに、「えーー!ああー、そうやなぁ」っていうね。近所づきあいの中でそういう空気が確かにあったよねぇって。誰も遊ばさないというところがあったから、自分だけじゃなくて。ああ、そうやったんや、確かに地域にそういう空気が充満してた、そこに気づかされた、という、そういうやりとりもありましたですね(A)。

「自分の殻を、まず破って出て来てください。本音を出さなければ何も見えません。当り障りのない、あるべき論になる。そんなのはいらないです」と、かなり強くいっていただけたんです。・・・正直いって、講義もすごく楽しみにしてたし、ためにはなったんですけど、やっぱり「大学」といわれる所以は、そこの生徒同士のコミュニケーションというか、啓発の討論、ディスカッションがあってこそ、参加した甲斐があると思っていました。だから、助言者の方のアドバイスを聞く中で、私の中で自己啓発は「楽しみ」として位置づけられました(C)。

7 「自己啓発学習」を通じての変化

「自己啓発学習」は、今まで意識化されていなかったことが、意識化されていく過程である。受講生一人ひとりが作り上げる「自己啓発学習」の文章は、回を重ねるごとに自分の生い立ちや差別問題との関わり、思い等を自分の言葉で綴ったものへと変化していく。

また、Bさんのように、文章や意識の変化に加え、一個人として人権という観点から実際に行動を起こし、友人と「出会い直す」人もいる。このような変化を可能にしているのは、「自己啓発学習」を通じて生まれたメンバーや助言者との人間関係の深まりである。

 うちの班はそういう雰囲気ありましたね。○○さんも、僕と違うんですけども似たような体験があって、絶縁状態になっているというご友人がいました。それも別の班の助言者がその絶縁状態になっている友人の居所を探してきてくれて、○○さんはそれで連絡を取らなあかんという状態になったりして(笑)。で、僕が(友人と話を)やったものだから、「次、○○さんやね」とか、そういう雰囲気があったというか。なんていうか、それは別に義務的でもないし、自然とそういう感じになったんですよね、うちの班は(B)。

8「自己啓発学習」後の学びの深まり

 「自己啓発学習」後は、受講生同士のつながりや個々の受講生の問題意識が深まり、集団として学習へのモチベーションが高まる。そういった中で行われる、自身の体験や思いを語る当事者の講義に、多くの受講生は引き込まれる。また、講師との距離の近さも学びが深まる要因となっている。

 また、「自己啓発学習」後の講義においても、議論の機会は幾度となく設けられており、「自己啓発学習」で深まった関係性は後半の講義をより豊かなものにする。

9 受講生間で行われる、フォーマル/インフォーマルな場での討議

解放大学における学びを促進する大きな要因の一つに、受講生同士の議論・討論がある。これは、「自己啓発学習」における語り合いや、講義中のグループ討議といったフォーマルなものに加え、昼休みに食事を取りながら、あるいは夜にお酒を飲みながら行われるインフォーマルなものがある。このどちらもが、意識や考え方の異なる受講生同士の相互作用を促進し、学びを深めていく。解放大学における学びは、受講生間の討議なしには成立しない。

10 解放大学修了後の修了生同士の情報交換

解大修了生の多くは、修了生同士で情報交換や交流、自主的な研修活動を続けている。中でも、人権啓発担当者として必要な人権教育・人権啓発に関する情報の交換や、それぞれが研修に行き詰ったときの意見交換等は積極的に行われており、解大修了生が人権啓発推進リーダーとして活躍する姿があるといえる。

11 職域における「人権の防波堤」としての解大修了生

Bさんの語りにあるように、解大修了生は、解放大学での出会いをきっかけに、行政や企業といった組織の枠を越えて顔の見える人権啓発のネットワークを構築している。これは、職域における「人権の防波堤」ということができよう。

解大に来て、実際に同企連の担当者の方とかとね、知り合う機会があって。「すごい力入れてはるな」と思って、そういう人らが見えてくるようになったら、逆に同企連から送ってくる文書とかでね、知ってる顔とか見ると、「ああ、頑張ってるな」というような感じで(B)。

12 人権啓発担当者という役割の影響

人権問題に熱心に取り組んでいる企業より派遣されると、その人は人権啓発担当者としての自覚を持って解放大学を受講する。解放大学受講時に学びを深め、修了後の学びの継続を支えているのは、人権啓発担当者という承認された「反差別役割」である。

13 異業種の受講生との出会い・交流

解放大学での学びが効果的となる要因の一つに、異業種の受講生同士の交流がある。日常なかなか出会うことのできない人との交流は、様々な点で刺激となる。Bさんの上司の言葉は、まさにこの点を表している。

課長とかも、どっちかいうたら人間関係作りじゃないですけど、「お互いに情報交換できる仲間を作りに行くところやから」っていってくれて、「特に行政でない企業さん、同企連のメンバーとかは、かなり自分が担当やという意気込みで来てはる人が多いから、そういう人からいろいろ影響を受けてきたらええんちゃうんか?」という形やったんです(B)。

14 同和地区に住む人や部落解放運動に取り組む人々との豊かな出会いの重要性

「飛鳥会事件」等とその報道は、人権教育・人権啓発に取り組む人権啓発推進リーダーを取り巻く環境に影響を与えたことがわかる。だが、そのときに、解大修了生たちが地域や職域への人権教育・人権啓発の後退を食い止めるべく活動していることが、Aさん、Bさんの語りよりわかる。ここには、解放大学という空間において、同和地区に住む人や部落解放運動に取り組む人びとと豊かな出会いがあったことの影響が見られる。

「真面目にやっておられる方、いっぱい知ってますよ」と。「汗水流して一生懸命やっておられる方、いっぱいおられますよ」「この話で悔し涙、流している方、この目でみましたよ」っていうような話から入っていかないと、なかなか理解してもらえないというような事実はありますよね。・・・解大で関わった人は、みんな地道にやられている方ばかりじゃないですか(A)。

わかる人にはわかってるんやろうから、そういうところで、仲間を少しずつでも増やしていくとか、輪を広げていくしかないんかなぁというね。どうしても、それで「解放運動あかんやろ」という気には僕自身は全然なってないんで(B)。

15 人権教育・人権啓発の「現場の知」を集めること

 Aさん、Bさん、Cさんの語りから、それぞれが人権教育・人権啓発の実践の場において対峙している難しさや課題、また、それぞれが現状の中でより良い人権教育・人権啓発を求めて工夫する姿が浮き彫りになった。現場において試行錯誤されている「知」にこそ、現状打開のためのヒントがあると思われるので、このような人権教育・人権啓発の「現場の知」を広く集めることが必要である。

  • 自社の年表を作成し、資料として配布(A)
  • 無関心な社員をどうひきつけるか(A)
  • 社内人権啓発推進リーダーの育成(A)
  • 増える派遣社員への研修体制(A)
  • 人権を軸にしたまちづくりに、団塊の世代をいかに活用するか(B)
  • 成人式にて記念品などを入れた封筒に人権啓発メッセージを同封する(C)
  • 子どもたちに伝えるべきは、「人の嫌がることをしない」という原則(C)

以上、解放大学が促す「学び」の要因を析出した。

第2章にて行った、解大修了生の人権問題に関する意識と大阪府民のそれの比較から、解大修了生の人権意識が高いという結果が出ており、解放大学という人権研修の効果が認められるわけだが、それを生み出しているのは、上記1から15の要因であると考えられる。

解放大学が人権研修として効果を持ち得ている最大の要因は、人間関係の深まりであるといえる。「自己啓発学習」における「語りの相互作用」が受講生同士の人間関係を深める。また、助言者は受講生に寄り添い、それぞれの気づきや学びを促進し、葛藤や思いを受け止め、立場性の捉え直しの支援をする。講義においても討議の機会はたくさん盛り込まれ、それはアフター5も続く。解放大学で培われた人間関係は修了後も大切にされている。

また、組織内で付与された「反差別役割」の影響も大きい。受講生は職務として解放大学に派遣されるが、社会的な承認を得た中で人権について学ぶことは、学びを深める大きなモチベーションとなる。そして、その学びは「反差別役割」により修了後も続けられる。

さらに、解放大学のプログラムでは、様々な人権課題に熱心に取り組む人が講師となることが多く、人との出会いを通じて人権について学ぶことができる。特に、部落解放運動に取り組む人々との豊かな出会いは、同和問題に関する認識の変容の大きな一助となっている。

解放大学は、人権啓発推進リーダーという立場にある人々への研修である。そして、これらの人々は確かな人権意識を育んでいる。より多くの府民に効果的な人権教育・人権啓発を行うことが求められている今、上記の経験を活かして一層取り組んでいく必要がある。

(新木敬子)

<参考文献>

部落解放・人権研究所発行2003『部落問題に対する意識形成調査研究報告書』

波多野誼余夫 1995「おとなの学習―学習と変化のメカニズム」『人権時代の生涯学習』解放出版社

桜井厚2002『インタビューの社会学』せりか書房

好井裕明 桜井厚編 2000『フィールドワークの経験』せりか書房

赤尾勝己編 2004『生涯学習理論を学ぶ人のために』世界思想社

日本社会教育学会編『日本の社会教育第48集 成人の学習』東洋館出版社