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2010.07.13
意見・主張
  

子どもの貧困と学力問題


第1章 子どもの貧困と学力問題
― 人権教育としての同和教育の視座から

桂 正孝

 

1 問題状況と社会的背景のとらえ方

① 世界同時不況下の日本

 アメリカ発世界同時不況は、世界恐慌へ転換するのではないか、との懸念が高まっている。それは、ソ連・東欧の社会主義体制の崩壊後、ユニラテラリズムのアメリカの政治=経済が主導したグローバリゼーションの一つの帰結でもあり、世界は多極化ないしは無極化しつつある、とみられている。外需過剰依存の日本経済は世界同時不況の直撃を受けて、かつてない深刻な雇用危機に陥り、国民生活の貧困化の新たな事態に直面している。総務省の労働力調査(2009年4~6月期平均)等によれば、もはや雇用労働者の3分の1(約1685万人)が非正規雇用で、年収200万円以下の給与所得者が一千万人を超えたと報じられている。
さらに、正社員のリストラも拡大しつつあり、総務省の労働力調査によれば、2009年8月の完全失業率は5.5%(近畿6.7%、15~24歳では9.3%)、有効求人倍率は0.42倍、全失業者数は361万人で、雇用情勢は依然厳しい状態が続いている。
また、警察庁によれば、2008年の自殺者は、3万2249人で11年連続3万人を超えており、金融危機の10月には3000人を超え、最多だったという。年齢別では、50代、60代、40代に続く30代が4850人で、統計の残る1978年以降最多となっている。その原因や動機には、「生活苦」「失業」など不況の影響が認められる。

② 家庭の貧困化の諸相から

 とりわけ平成不況以降、国及び地方自治体の財政的危機が深化していた日本は、新自由主義的社会政策によって脱出を試みてきたが、結果的には、中間層の没落など貧富の格差を急速にひろげ、社会の階層化がすすみつつある。
その結果、ワーキングプアに象徴される広範な家庭の貧困化を招来した。とくに、ひとり親家庭が深刻な貧困状態におかれている。厚生労働省によれば、2009年5月の生活保護受給世帯数は約121万5379世帯、168万人近くまで増加したという。しかも生保漏給者が約400万世帯、600万人もいると推計されている。その背景には、申請保護主義という制度的難点もさることながら、生活保護受給者に対する「世間」の差別や偏見の存在(社会的排除)も否定することができない。
また、文部科学省の調査によれば、公立小・中学校における就学援助対象者が、2007年度で142万人を数え、全国で約7人に1人の割合に達し、この10年間で人数・割合ともに2倍に増加しているという。

③ 教育における貧困問題とは

 家庭の貧困化の拡大は、母子家庭を底辺とする子どもたちの生育環境の劣化を招き、絶対的貧困状況に陥っている。児童養護施設は満杯になり、居場所の喪失を招き、子どもの個人の尊厳と学習権がおびやかされ、低学力問題や反社会的、非社会的問題を派生させる要因となっている。マイノリティの外国籍やニューカマーの子どもたちの多くも、就学・進路選択の機会が閉ざされている。
こうした深刻な事態に陥った要因として、日本の公財源からの教育支出があまりにも貧寒なことがあげられよう。経済協力開発機構(OECD)が公表したデータによれば、比較可能な加盟国28か国の中で、日本の2007年度の対国内総生産(GDP)比が過去最低の3.3%(OECD平均4.9%)で、トルコに次ぎワースト2位になっている。さらに、1人当たりの教育支出に占める私費負担の割合が33.3%と韓国に次いで2番目に高く、OECD平均15.3%の2倍以上になっていることは看過できない事態である。
もちろん、貧困問題は、単に最低限のお金や衣・食・住,健康状態などの〈貧困ライン〉(現行憲法第25条)を下回る〈絶対的貧困〉だけでなく、例えば児童虐待問題のように、豊かな人間関係や自尊感情を傷つけられ、生きる希望や展望をみいだしにくくなり、学ぶ意欲まで失った状態〈相対的貧困〉をも含意している。経済的・文化的・精神的貧困、ニート的状況まで射程をひろげて考察されるべき社会問題であり、教育問題でもある。
その側面と同時に、生活権や学習権を抑圧され、剥奪されている人びとや集団の権利を回復し、人間個人としての尊厳・尊重を確立していく自立と平等、社会的連帯(参加)をめざす市民の自己解放運動の教育課題でもある。

④ 戦後部落解放運動と貧困問題

 敗戦後の同和教育は、厳しい部落差別と戦争がもたらした社会的疲弊による〈絶対的貧困〉からの脱出をめざして、主として現行憲法(第25、26、27、28条)の社会権を武器に展開された部落解放運動として成立した。高知県で始まった長欠・不就学問題の克服の取り組みは、やがて教科書無償闘争に発展し、京都・大阪府等での義務教育無償化闘争と共鳴しあって全国化し、教科書無償制度を実現したのである。
戦後の部落解放運動は、基本的人権(社会権的側面)としての生活権・学習権・労働権の保障を求める当事者による自主解放の一般民主主義運動であり、公教育における近代立憲主義確立のたたかいであった。周知のように、部落差別撤廃国策樹立運動が同和対策審議会答申・同和対策事業特別措置法の体制(同和行政)を創出し、高度経済成長を背景にして、地域の生活環境・経済的基盤・社会福祉・地域医療・教育文化環境の整備・改善が大きく前進した。

⑤ 同和教育・行政の成果

 1969年に制定された特措法下の同和行政の進展によって,同和教育・保育も大きく発展した。社会・文化権としての学習権を具体的に確立するために、教育の機会均等の原則から、差別的な越境通学の防止に取り組み、同和教育基本方針を策定し、教員加配、成績条項を撤廃させた給付型奨学金制度をはじめ、学校における就学支援や学力保障の取り組みが進展した。学力問題は、絶対的貧困に対する就学保障の対策レベルから、高等学校進学の推進により、徐々に高等教育・大学への進学問題へと、その射程を伸ばしていった。
また、現行憲法第22条・職業選択の自由に励まされた就職差別反対闘争の取り組みは、社用紙の撤廃、統一応募用紙等の創出による公正な採用選考システムを構築し、就職保障の取り組みを前進させた。

⑥ 貧困再生産の構図

 2002年の特措法体制の終焉は、経済のグローバル化のもとでの平成不況と産業・就労構造の激変とが重なって社会保障水準の後退を招き、再び被差別地域・在日外国人の集住地域およびその周辺地帯、高齢化した過疎地域における「限界集落」の出現など絶対的貧困問題が浮上し、その絶対的貧困の再生産に随伴する〈貧困文化〉の問題や〈貧困の世代的再生産〉の問題を顕在化させた。高校中退問題や早期離職問題、大学進学率の停滞などは、差別や貧困に起因する権利侵害により余儀なくされた生活世界の累積結果と見ることもできよう。そこから、絶対的貧困からの脱出を支援する特別対策だけでなく、〈相対的貧困〉としての学力問題の克服が切実な一般的課題として提起されているのである。
同和教育と部落解放運動が直面している学力問題の克服は、特措法の終焉の後、被差別地域内の階層分化・高齢化(人口流出・流入)の影響のもとに、再び、相対的貧困のみならず、絶対的貧困の比重が重くなりつつある状況にどう対処するかということに深くかかわっている。こうした事態が放置されれば、「貧困の世代的再生産」といわれる深刻な生活文化状況を断ち切ることができないからである。

⑦ 同和教育の直面する学力問題 

 したがって、なによりも社会保障などの生存権の保障とリンクする形で、家庭・地域での学習環境の整備、スクール・ソーシャルワーカーなど就学・学習支援の抜本的な条件整備が求められている。とくに、義務教育レベルでの学力保障の取り組みにとって、学級編成や教職員定数の抜本的引き下げなど、教育条件の整備・拡充は、緊急不可欠な課題となっている。
それと同時に、脱工業化に伴う産業構造の激変に適応できる労働能力や資質を形成するために、大学・高等教育への需要も高まっているが、それに対応した学力水準が被差別部落・被抑圧階層の子どもたちに達成されていない問題状況も認められる。この問題は、たんに法の前や経済の前の平等の問題のみならず、学びとそれを支える暮らし・子育ての文化水準の問題を含んでおり、解明されるべき学力問題の核心の一つである。
戦後同和教育の歩みを振り返るとき、経済の高度成長から取り残された被差別部落では、村共同体型の温かい相互扶助の人間関係が濃厚であった反面、子どもたちの生活意識が、差別と排除の歴史の中で形成された狭い人間関係や行動範囲、同質的な生活世界に閉ざされがちであった状況も否定できない。
その結果として、子どもが直接に見聞きする家庭生活や結婚、進学、職業・就労等の生活世界とキャリアモデルが狭く限られたものになりがちであった。同和教育が追究してきた学力保障の取り組みの意義は、子どもの育ちと精神世界を閉ざされたいわゆる「世間」の狭さから解放する役割を学校教育と教師に託したことにある。

2 現代の学力問題(学力論・学力形成論)
―「解放の学力」論の検討

① 「社会権的教育権」論にたつ学力観

 1960年代の後半から1970年代に展開された「解放の学力」という用語法は、「部落解放教育」という呼称から「部落」をとり「解放教育」となったように、教育現場で部落差別だけでなく民族差別や障害者差別等に対峙して、教育の機会均等(義務教育無償)の原則に基づく就学・学習条件の確立をめざす実践的取り組みを反映したものであった。
長欠など就学保障の取り組みから出発した戦後同和教育の学力保障の取り組みは、読み・書き・算の「基礎学力」の習得から始まった。その歴史的経緯をふまえて、いわゆる「社会権的教育権論」(現行憲法第3章第25~26条)の立場に立ち、近代立憲主義に基づく基本的人権としての学習権保障に照応した学力観を模索し構築しようとしてきたのである。この部落差別と向き合い、自らの社会的立場の自覚を基底とする「解放の学力」論の観点から、いわゆる功利的な「受験学力」を批判し、法の下の平等に立脚する人権論の視座から、人権意識を形がい化させる偏狭なナショナリズムの色彩の濃い「特設道徳」や部落問題を欠落させていた当時の社会科の教科書などに批判を加えることを試みたのである。

② 「自由権的教育権」論にたつ学力観の問題点

 1958年の「特設道徳」の実施に際して反対論をリードした当時の自由権的「国民の教育権」論は、自由権としての内心の自由、教育の自由(私事性)に対する国家権力の介入を排除するという趣旨から、授業として展開される「特設道徳」に反対して、主として教科外の教育方法体系としての生活指導を対置した。
「特設道徳」問題の核心は、「日本人」の育成にあり、現行憲法・旧教育基本法に規定されていないナショナルな教育的価値(愛国心)を教育内容の国家基準として導入することを企図したものであった。だが、「日本人とは何か」という肝心の国民的論議は平行線をたどり、国論は二分したまま政治的決着を見た。実施された結果として、批判者の側にも学力形成と人権意識の形成との関係性を、教育を受ける権利(学習権)保障の観点から統一的に把握する論議までは深まらなかった、といえよう。
さらに、文部省(当時)が1961年から、4年間にわたり、高度経済成長に資する人材開発政策の一環として、中学校2、3年生を対象とする学力テストを実施した。高校受験競争の激化を背景としたこともあり、入学試験に強い「計測学力」を育てることが教育であるとする「学歴社会」の学力観がいっそう世上に浸透することになった。同和教育が重視した人権の教育的価値は、学校教育の建前ないしは教育の私事性の領野に押しやられ、その実践的な取り組み方いかんによって公教育としての学校教育から度外視されることにつながった。
こうした社会状況に抗して、部落解放運動の側では、地域に部落子ども会を組織したり、中・高等学校では学校の教科外活動として部落解放研究会などの自主活動が取り組まれたのである。

③ 「解放の学力」論と民主的編成

 「解放の学力」論は、1960年代の後半以降、日本の近代化の「負の遺産」としての部落差別、在日韓国・朝鮮人差別、障害者差別、女性差別、沖縄差別、アイヌに対する民族差別などの人権課題を射程に入れ、公教育としての現代日本の学校教育の実践的課題と位置づけ、それら重層化した諸差別の克服に寄与する人権教育の構築の方向に実践展開していった。
そうした実践的取り組みの中で、代表的な事例として解放教育読本『にんげん』が、1971年から1977年にかけて発刊され、大阪府下の小・中学生に副読本として無償配布された。
その編集・作成の契機となったのは、1968年、大阪市全域で起きていた部落差別による公立小・中学校での越境入学・通学の実態が判明したことにあった。適正就学と学校の施設・設備などと教育環境の格差是正を求める地域教育運動が盛り上がり、すべての子どもに部落差別の克服を学びとらせる必要性が共通認識された。編集には、教育行政、部落解放同盟、同和教育研究協議会、教職員組合をはじめ、教材選定・作成にかかわったすべての団体・個人が参加した。この編成のプロセスは、教育内容の「自主編成」という次元を超え、「民主的編成」と呼ばれるようになった。
『にんげん』に結実した「解放の学力」論は、①集団主義の思想を確立すること、②現実認識をだいじにし、科学的認識・芸術的認識を深めること、③子どもたちに部落解放、解放の自覚をもたせること、の三つの柱から構成され、学力構造としては、原初には、解放の自覚が基底に置かれていた。つまり、生き方と学び方の統一、人格形成と知識習得の結合をめざす学力構造論であった。換言すれば,訓育と陶冶の両側面の相互関係では、どちらかといえば、訓育が陶冶を先導し、内包するという教育作用構造論に立っていたといえよう。

④ 「解放の学力」論の問題点

 「解放の学力」論は、各地の歴史的な段差を内包した部落解放運動の実践的状況に影響され、多様な形態をとったが、共通して思想性に強調点がおかれ、理念としての原則論にとどまりがちであった。子どもたちの問題行動に対処する生活指導や集団づくり、人権総合学習の展開では大きな実践的成果を上げてきたが、教科指導の面では、小学校での基礎学力面での指導にそれなりの成果をあげたものの、中学校・高等学校レベルの教科指導の展開は不十分なままであった。
このような「解放の学力」論の問題点について、池田寛氏(大阪大学)は、1999年に「思想性に強調点をおいて学力が論じられるときには、教師は実践上の心がまえとしてそれを受け取るが、実践を導く具体的な学習『論』が欠けているときには、それを教科の構造や教材論や教育方法論へと発展させることはない」と指摘し、「解放の学力」論が「学習論を欠いていたところにその最大の原因がある」と批判していた(1)。
「解放の学力」論の観点から、学習指導要領や検定教科書、指導要録の批判的検討が加えられた。ただし、その批判も学力像のレベルにとどまり、教科の内容や構造に踏み込んだ学力観、学力構造、学力水準、学力分布などの分析概念の明確化による理論的構築には、至らなかった。それは、当時の日本の教育諸科学の水準を反映していたともいえよう。

⑤ 先駆的な学力―生活実態調査

 1988年に大阪府箕面市で行った学力保障のための学力・生活実態調査は、池田寛氏を中心とする教育学研究者と、教育現場、行政、地域が協働した学力問題の実証的研究の先駆的取り組みとして展開された。そこでは、学力形成が、分析概念として用意された「自己概念」(自尊感情・自己効力感)によって規定される、との仮説のもとに、生育環境や経済的要因のみならず、学力形成での主体的条件である社会心理的要因の連関構造の解明に取り組んだ。同和地区の子どもの学力分布(ふたこぶラクダ状)の特徴や自尊感情と学力、階層の特徴や関係性を実証的に析出した。この研究は、学力保障をめざす教育実践総体を、実証的な実態調査によるエビデンスに基づいて検証するという画期的な取り組みであり、学力形成の階層格差構造を解明するうえで先鞭をつけた成果として同和教育研究の最大の貢献の一つと評価されよう。
この箕面市の学力―生活実態調査が契機となって、その後、大阪府・市をはじめ、福岡、高知、三重、奈良、徳島県など西日本の各地で同様の調査研究が推進され、学力保障をめざす学校づくりの新たな取り組みとして結実している。「効果ある学校」論や「力のある学校」論は、その延長線上の研究成果である。

3 当面する研究課題の枠組み
―戦後同和教育の若干の総括を踏まえて

① 学力問題への基本的視座

 「第三の開国」期における「差別と貧困」(地域・階層の格差拡大・分断、差別・貧困の重層構造)プラス世界同時不況(世界恐慌のおそれ)下での学び方、生き方、育ち方、働き方、暮らし方の追究と深刻な貧困化に対峙し、学習権保障をめざす地域教育創造戦略の構築が求められている。
そのさい、人権教育の創造は、日本の近・現代社会における人間の尊厳を奪う厳しい部落差別をはじめとする諸差別の重層構造と貧困化に対峙し、個人の尊重と尊厳、個性の開花と人間としての成長・発達、市民としての自己実現、社会的自立力(自律力・共生力)の獲得をめざす学習権保障の教育的営為であり、グローバル化時代・生涯学習社会(知識社会)の主要な教育課題となっている。
まず第1に、学習権とは何か。1985年の第4回ユネスコ国際成人教育会議で採択された「学習権宣言」によれば、「読み、書く権利であり、質問し分析する権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、教育の手だてを得る権利であり、個人および集団の力量を発達させる権利である(以下略)」と規定されている(2)。この宣言には、学習権を享受し、「地球共生社会」を創出し担う市民の共通教養の骨格が示されており、学力論構築の有力な指標になるものと考えられる。
さらに第2に、ここでの学習権の名宛て人である「こども」の範囲は、1958年から学習指導要領に明記されるようになった「日本人」に限定することを意味しない。「子どもの権利条約」や「人権差別撤廃条約」の教育の機会均等の保障に関する内外人平等の原則に従って、日本国籍をもつ子ども以外に、日本社会に定住する外国籍や外国にルーツをもつ子どもたちも包摂される。
第3に、一人ひとりの子どもを理解する場合も、抽象的・一般的・心理的存在としての子どもではなく、子どもを一人の生活者、同時代を生きる社会的人格としてとらえる視点を重視する。
したがって、子どもを社会的生活者としてとらえる視点は、被差別部落の子どもだけでなく、アイヌの子ども、障害・難病の子ども、児童養護施設の子ども、在日コリアンの子ども、帰国・新渡日の子どもなど、近代化やグローバル化のもとで、差別の重層構造の中に組み込まれて、社会の周縁に排除され、抑圧されてきたマイノリティの子どもたち一人ひとりの学習権を保障し将来展望と進路をきり拓く教育実践の創出に具体化されねばならない。「その子にとって必要な学力」(長尾彰夫氏)とは何か、というカリキュラムの個別化の視点が考慮されるべきである。

② 「学力」の概念と学力観をめぐって

 「学力」という用語は、多義的な概念として使われてきた。だが、国家の近代化の人材養成装置として発展してきた日本の近代学校教育制度は、学歴(学校歴)社会を産出させ、入学試験はペーパー・テストによる成績に基づいて序列が競われ進路が決定されてきたために、評点化された「計測学力」(テスト学力)が客観的で公平なバロメーターとして重視される教育的風土が形成されてきた。
そのため、今日においてもOECDのPISA調査(生徒の学習到達度調査)や文部科学省の全国学力・学習状況調査の結果について、評点の高低と序列がマスメディアをはじめ社会的関心事となっている。言いかえれば、学力水準という平均値(評点)に注目するのみで、学力の内容・構造や分布、背後にある学力観などの学力の質は不問にされがちとなる。
また、多くの学力調査(テスト)も、その出題範囲が、国語と算数・数学の2教科領域に限定されており、その評点をもって知的能力の高低を計測することが可能であるとの暗黙の前提に立っている。さらに、学力形成の背後にある子どもを取り巻く家庭の教育環境の実態も度外視されてきた。こうした世相に油を注いだのが、政府・文部科学省の学力重視政策への転換であった。
学力の定義は、その目的によって多様でありうるが、「解放の学力」論は、被差別・非抑圧者の自主解放の視座から形成されてきた経緯がある。それゆえ、「解放の自覚」(「社会的立場の自覚」)を不可欠の柱としてきたのである。こうした原則を、現今の複雑多様化する差別・被差別の状況をくぐらせ、発達論を媒介させ、より一般化し、現代の学力論として、再構成する理論的作業が求められている。
そのさい、比較検証軸として、多様な学力モデルが必要になる。第1に上げる学力論が先に紹介したユネスコの「学習権宣言」である。そこでは、学力の構成要素の枠組みが提示されており、生涯学習社会、グローバル化する知識社会を展望するならば、有効な学力モデルと評価されよう。
第2に、比較検証軸として取り上げるべき学力モデルは、OECDのPISA調査のリテラシーやDeSeCo計画のキー・コンピテンシーの概念構成である。PISA調査は、知識の量や技能の正確さ・スピードを計測する日本のこれまでの学力観と違って、構成主義的な学力観にたち、社会に積極的に参加することができるような知識や技能を活用する思考のプロセスを測ろうとするものである(3)。
また、DeSeCo計画のキー・コンピテンシーは、国際人権を基礎にすえ、知識基盤社会を展望し、共通する地球規模の課題に省察(熟考)や行動で応えるために、個人に求められる能力・資質として構想されているのである。「解放の学力」論が広義の学力論として集団主義の思想の確立を提起したが、キー・コンピテンシーでは、思いやりやチームワークなど共に生きることを学ぶ能力を「人間関係のコンピテンシー」として一般化を試みている。つまり、思慮深さなど「非認知的な要素」を重視する広義の学力にたっている(4)。

③ 学力形成過程と学校づくり

 学力形成にとって、教師・教職員集団による教科指導および教科外の生活指導などの教育活動は、何よりもまず第1に、子どもたちの学習活動を組織するさい、学校生活における教育的居場所づくりが前提条件となる。人権としての居場所とは、一般的に定義すれば、人が生きていくうえで不可欠かつ自己実現に必要な場であり、二つの側面から成っている。その一つは社会的居場所であり、他は個人的居場所である。社会的居場所は、他者にとって自分が必要とされ、信頼されている場でメンバーとして認められていることを意味する。個人的居場所とは、自尊感情をもてる場であり、自分のよさを認め、生きる価値があるという自己確認(アイデンティティ)の場を意味している。したがって、居場所は「隠れたカリキュラム」の機能をもっているといえよう。
このような意味での居場所が、子ども一人ひとり、とりわけ家庭生活の厳しい子どもにとって、学校・学級、地域での生活世界のなかに、豊かに確保されていることが、学習活動成立の契機となり、条件となる。
たとえば、家庭で児童虐待や学校・学級生活でのいじめは、被害者の子どもの社会的居場所を奪う行為であり、排除し孤絶に追いやることによって個人の尊厳を傷つけ、学習意欲を萎えさせるとともに、加害者の人権感覚をマヒさせる。
また、深刻な学力不振は、家庭や学校での個人的居場所を喪失することにつながり、学ぶことの意味やおもしろさが分からず、劣等感にさいなまれ、自分への信頼感を失い、学習意欲をそがれることに陥りやすい。
同和教育が展開してきた生活指導は、子どもたちの自治的・集団的活動の指導を通して、こうした教育的居場所を学校・学級の生活世界の中につくりだし、学ぶことを支え励まし合い、民主的な人間関係を育てることを通して、学力形成の土台づくりの役割を果たしてきたのである。
第2に、教科指導も、授業実践を通して主として自然・社会・人間の歴史についての知識や世界観、技能などの習得をねらいとするが、優れた授業は、民主的なモラルや社会的態度など人格形成にも影響を及ぼすことが認められる。それゆえ、同和教育においては、「解放の学力」論にみるとおり、学力概念に知識や技能以外に意志や感性・意欲・態度のような人格的諸特性まで含める広義の定義づけを行ってきた。学力を認識能力と一定の表現能力に焦点化した狭義の学力の定義はもちろん有効であるが、学びを支える意欲・関心・態度などの人間的、精神的構え、情意的な諸要因を学力形成の土台として位置づけることも重視してきたのである。こうした観点から、葉・幹・根からなる「学力の樹」(志水宏吉氏)の学力像は、「学力を育てる」という有機体論的イメージを有し、実践的にも有効かつ適切な提起であると評価されよう(5)。
第3に、学力の質と構造論については、銀林浩氏(数学教育学)の「基礎学力」(識字力・計算力のような要素的な能力、土台)と「基本学力」(ものごとの意味と本質をわきまえている、骨格)というとらえ方に注目する必要がある(6)。この「基本学力」の視点から、豊かな学力形成をめざす授業づくりの条件が浮かび上がってくる。まとめて言えば、「考えることがおもしろくなる授業」の創造ということになる。それには、信頼しあえる人間関係づくりと学習への内発的動機づくり、豊かな言語環境・学習環境などが学力形成への土台を成し、生活的概念と科学的概念の統合(ヴィゴツキー)を進める授業実践のプランや教材・教具、方法の開発が求められよう。その際、学習指導システムのネットワーク化や少人数指導などのカリキュラムの個別化がさらに並行してすすめられ、それを支える人的・物的教育条件整備が必要不可欠となることは、すでに述べたとおりである。

④ 学力形成過程の組織化の重点 

 同和教育が学力形成過程の基点として大切にしてきた原則の第1は、一人ひとりの生活現実・生育史、親・家族や地域の労働史・生活史をふまえ、部落問題学習など人権総合学習を切り口に、社会的な逆境をもバネにして生きぬく力の育成をめざしてきた。エンパワメントの教育といってもよい。
その第2は、適切かつ実証的な学力・生活実態調査に裏付けられた学力形成過程の検証の重視である。読み・書き・算の習得を中心とする基礎学力のみならず、知的好奇心やものごとの意味や本質をつかみとる基本学力、メディア・リテラシー、コミュニケーション能力の育成などリテラシーの教育評価の取り組みである。高校中退の原因の一半に、狭い生活世界とキャリアモデル、基礎学力の欠如と自尊感情の低さ、学習意欲の枯渇が認められるからである。
第3は、とりわけ義務教育段階からのキャリア教育と学力保障の連携した取り組みの重視である。キャリア教育は、一人ひとりの子どもの夢や希望を育て、人生設計にそった学力の必要性を自覚させ、学習に目標を与え、学習意欲を覚醒するからである。小学生時代から、人権総合学習等を通して個性的で多様な人生や職業のモデルに出会い、自分さがしの豊かなプロセスが保障されるべきである。
そのさい、これまでもボランティア活動、トライやるウィークなど社会参加・体験学習や、多文化共生教育に積極的に取り組んできたが、とりわけ中等教育段階では、日本国憲法に規定された幸福追求権に則って、労働者一人ひとりが、人間らしく尊重され個人の尊厳が認められた生き方、働き方ができるように、基本的人権として「勤労の権利」「労働基本権」が規定されていることや、就職差別をなくし、公正な採用選考システムを構築してきた同和教育運動による就職差別撤廃の歴史的あゆみを学習する機会が用意されるべきである。
第4に、学力形成過程は、学校内の学力保障の取り組みで完結するものではない。学校外教育(生涯学習・社会教育)と連携した教育コミュニティづくりと結合して展開されてきた。日常的には、学童保育、子ども会活動などの子育てのネットワークに支えられてきた。図書館での読書活動、博物館での子どもの文化活動も試みられてきた。これらの取り組みは、在日定住外国人との多文化共生教育に発展したり、町内会とNPOなどアソシエーション団体との協働と参画、行政的支援による人権尊重のまちづくりに発展するケースも生まれている。
学力保障をめざす学校づくりは、まちづくりとの協働によって、より豊かに展開することが可能となるのである。

 


(1)池田寛「人権と教育―同和教育の新しい展開」、麻生誠・天野郁夫編著『現代日本の教育課題』(財)放送大学教育振興会、1999年、所収。
(2)永井憲一監修・國際教育法研究会『教育条約集』三省堂、1997年。
(3)国立教育政策研究所監修『PISA2006年調査評価の枠組み』ぎょうせい、2007年、8頁。
(4)福田誠治著『フィンランドは教師の育て方がすごい』亜紀書房、2009年、第5章。
(5)志水宏吉著『学力を育てる』岩波新書、2005年、第1章。
(6)銀林浩「学力問題の本質―どうなる日本人の学力」、兵庫教育文化研究所編『こどもと教育』No.107、2002年、所収。

参考文献
・永野重史著『子どもの学力とは何か』岩波書店、1997年。
・池田寛著『学力と自己概念』解放出版社、2000年。
・(社)部落解放・人権研究所編『部落問題・人権事典』解放出版社、2001年。
・長尾彰夫他共著『「学力低下』批判―私は言いたい6人の主張』アドバンテージーバー、2002年。
・阿部謹也著『近代化と世間』朝日新聞社、2006年。
・福田誠治「グローバリズムと学力の国際戦略」日本教育学会『教育学研究』第75巻 第2号、2008年所収。
・高田一宏「同和地区における低学力問題」日本教育学会『教育学研究』第75巻第2号、2008年所収。
・阿部彩著『子どもの貧困』岩波新書、2008年。
・『週刊ダイヤモンド』2008年3月21日号〈特集・貧困〉、(株)ダイヤモンド。
・志水宏吉編『「力のある学校」の探究』大阪大学出版会、2009年。
・子どもの貧困白書編集委員会編『子どもの貧困白書』明石書店、2009年。