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2007.05.18
意見・主張
  

反差別国際運動(IMADR)第7回総会 インド・スタディツアー報告

 反差別国際運動(IMADR)第7回総会が3月13日、インド南部タミルナドゥ州、チェンナイ市内において開かれた。理事・事務局らの出席者に加えスタディ・ツアー参加者が傍聴した。記念シンポジウムではインド国内からの出席者をまじえ「アジア地域におけるカアナンダプラム村のダリット子どもデイケアセンターーストまたは門地にもとづく差別の撤廃にむけて」をテーマとして開催され、インド、ネパールにおけるダリット差別や日本の部落差別の実態について運動家たちから報告を受けた。以下、4日間のスタディ・ツアーの模様を簡単に紹介する。

 ツアーメンバーは2004年の津波で被害にあった漁村、また不可触民として差別を受けているダリットの人びとの暮らす村を中心に訪問した。現地の人びとからは「津波の被害に対する行政の支援がほとんどない」との声が聞こえ、上位カーストからの暴力行為もあとをたたないなど、厳しい差別の現状がうかがえた。しかし、村によっては津波後、地域に根ざした活動団体(農村教育開発協会〔SRED〕)の支援や交流を通して大きな意識の変化がおこっている。人びとは「運動を通して政府へ抗議するすべを知り、権利を主張することを学びつつある」と語った。

 また、私たちはIMADRとSREDの協力のもとに建設された「ダリット子どもデイケアセンター」の見学も行った。日中、施設に子どもをあずけることで両親が仕事に出ることが可能になり、生活の向上がみられている。「支援」とひとことで言っても、コミュニティごとに求められる形はちがう。IMADRが現地の団体と連携しながら適切な支援を行うことで効果的な結果を生み出すということを実感した。

(片木真理子)

 訪問の先々で「SREDが・・・」「SREDと・・・」という言葉を耳にした。この組織がタミールナドゥ州北部を中心に地域に根ざした活動を進めてきたことがよく分かる。とりわけ印象に残ったのは、最も不利な立場におかれている女性たちのエンパワメントを目指した取り組みである。

 その一つに、アンドラプラデシュ州と境を接する一部のダリットの村で今も残っている風習への挑戦がある。病気になったわが子(少女)を親がマサマという女性の神に捧げ、治癒を乞う。それにより、少女はマサマと契りを交わしたものと見なされ、生涯結婚は許されない。マサマの女性たちは、独特のサリーの着方を強いられ、独特のペンダントをつけなくてはいけない。

 祭事には村のヒンドゥー寺院で踊りを強いられ、男たちに性的に搾取され、そこからわずかな報酬をうける。子どもができても相手の男は認知しないし、責任もとらない。マサマの女性たちは、生きるためにセックスワーカーにならざるをえない。これらマサマの女性の解放運動をSREDは支援している。

 私たちは、15人ほどのマサマおよびセックスワーカーの女性たちから話をきくことができた。「マサマのペンダントをはずし、サリーの着方を変えるのはとても勇気がいりました。でも、その一歩を踏み出すことによって、私の意識は大きく変わりました」、リーダーの一人はそう言った。

 マサマ女性たちの意識化、村の人びとの意識化、生計手段、リハビリ・・・。無力な状態におかれてきた女性たちが、自らの足で立ち上がり、歩みを進めるためのプログラムが、SREDの支援のもと行われている。多くは語らないが、一文字にむすんだ彼女たちの口元は、マサマ解放の強い意志を示していた。

(小森恵)