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2009.10.30
意見・主張
  

鈴木祥蔵顧問の御冥福をお祈りいたします

桂 正孝(宝塚造形芸術大学)

本研究所の元副理事長で、現顧問の鈴木祥蔵先生(関西大学名誉教授)が、去る7月30日、肺炎のため逝去された。享年90歳、学者として生涯現役の人生であった。1919年、宮城県白石市に生まれ、仙台の旧制第二高等学校に進学。1943年、京都帝国大学文学部哲学科を卒業後、軍隊に召集され、その年の12月、中国戦線に送られ、1944年に旧満州に移り、1945年8月6日、旧ソ連の軍隊と戦闘し、ほとんど全滅のなか生き残った。8月18日に敗戦を知らされ、9月からシベリアで3年3か月、捕虜として伐採作業に従事された。

 帰国後、京都大学大学院に戻られると同時に、抑留時代の旧軍隊での壮絶な民主化闘争の体験を、教育誌『ガイダンス』(1949年5月~7月号、黎明書房)に「ルポルタージュ・餓鬼と畜生」として執筆。その体験こそ、侵略戦争への痛切な反省と平和を希求する先生のその後の生き方を決める基点となったことがうかがえる。

 先生の教育学研究は、戦前の講壇哲学としての教育学から脱却するために、教育実践の科学としての教育学の創造をめざして、「社会現象としての教育」を対象とする教育科学の理論的探究から始められた。30歳代の約10年の研究成果は、『教育原論』(1961年)として上梓され、その批判の主要な標的は、近代主義思想にあった。その間、1956年から始まった勤評闘争、1958年の「道徳」の時間特設問題にかかわる国論を二分した論争では、民主教育の立場から堂々たる論陣をはられ、その主張は『道徳教育の諸問題』(1960年)として刊行された。

 近代主義的な発達観の克服をめざされた先生は、近代社会における人間形成について、マルクス研究を深められるなかで、人間の発達を「社会的諸関係の総体」の視点から把握する理論的枠組みを構築し、解放教育運動に参入された。その理論的成果が、大著『人間の成長・発達と解放教育』(1975年)であった。

 それと並行して、先生の実践的関心は乳幼児教育に向けられ、『幼児教育入門』(1971年)を皮切りに、全国の同和保育運動にかかわり、実践指導に携わられた。主要な著作が、『鈴木祥蔵幼児教育選集全五巻』(1989年~90年)にまとめられている。また、「乳幼児発達研究所」(現・子ども情報研究センター)を立ち上げ、初代所長に就任し、若い研究者、実践家との共同研究をすすめられた。さらに、美術教育の領野でも、実践家たちとの共著『美術教育の理論と実践』(1974年)を発刊された。

 欧米の教育研究の動向にも目を配られた先生は、代表的な訳書として、バートランド・ラッセルの『教育と社会体制』(1960年)、JSブルーナの『教育の過程』(共訳、1963年)を出版された。

 個人的には、大学院生時代、大阪唯物論研究会の教育部会で、ごく少人数の研究会に参加し、鈴木先生、横田三郎先生からご指導を受けて以来、40数年になる。先生は、おおらかな人柄で、権威主義とは無縁の、立場を異にする人からも尊敬される全国の教育学界を代表する研究者のお一人であった。

 2006年、大阪教組が組織した教育基本法改悪反対集会に、呼びかけ人として車いすで参加され、激励されたお姿を拝見したのが最後となった。

 感謝しつつ、合掌。