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2011.06.09

意見・主張
  

君が代の起立斉唱を義務付ける条例案に対する、日弁連会長・大阪弁護士会会長・大阪労働者弁護団の声明


  公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付ける条例案が6月3日、大阪府議会(定数109)で成立した。公明、自民、民主、共産の4会派は反対したが、過半数を占める大阪維新の会などの賛成多数で可決、賛成59票、反対は48票だった。この条例は、憲法に保障された思想・良心の自由を侵しているとともに教育への過度な統制になりかねず、日弁連会長、大阪弁護士会会長らが懸念・反対の声明を発表しているので紹介する。


公立学校教職員に君が代斉唱の際に起立・斉唱を強制する大阪府条例案提出に関する会長声明

橋下徹大阪府知事が代表を務める「大阪維新の会」府議団は、本年5月25日、大阪府議会議長に対し、政令市を含む府内公立学校の入学式や卒業式などで君が代を斉唱する際、教職員に起立・斉唱を義務づける条例案を提出した。さらに、橋下府知事は、「国旗・国歌を否定するなら公務員を辞めればいい」と述べ、政令指定都市の教職員も含めて、起立・斉唱しない教職員について免職処分の基準を定める条例案を9月の府議会で審議する意向を示している。

地方自治体の首長が当該自治体の教職員に対し、免職を含む処分の制裁を公言して君が代斉唱時の起立・斉唱を求め、これを条例によって強制することはかつてない事態であり、思想・良心の自由等の基本的人権の保障に加え、教育の内容及び方法に対する公権力の介入は抑制的であるべきという憲法上の要請に違反するものとして、看過できない。

個人の内心の精神的活動は、外部に表出される行為と密接に関係しているものであり、自己の思想・良心に従って君が代斉唱時に起立を拒否する外部的行為は、当然、思想・良心の自由の保障対象となる。そして、君が代については、大日本帝国憲法下において天皇主権の象徴として用いられた歴史的経緯に照らし、現在においても君が代斉唱の際に起立すること自体が自らの思想・良心の自由に抵触し、抵抗があると考える国民が少なからず存在しており、こうした考え方も憲法19条の思想・良心に含まれるものとして憲法上の保護を受けるものと解されるから、国や地方自治体が、教職員に対し君が代を斉唱する際に起立・斉唱を強制することは、憲法の思想・良心の自由を侵害するものと言わざるを得ない。なお、地方公務員である教職員は、「全体の奉仕者」ではあるが、そのことが、公務員の職務の性質と無関係に、一律全面的に公務員の憲法上の権利を制限する根拠となるものではないことは言うまでもない。

また、国旗・国歌法制定時には、上記の過去の歴史に配慮して、国旗・国歌の義務づけや尊重規定を設けることは適当でない旨の政府答弁が国会でなされ、同法に国旗・国家の尊重を義務づける規定が盛り込まれなかった経緯がある。こうした立法経緯に照らせば、君が代斉唱時に起立を義務づける条例は、条例制定権を「法律の範囲内」とした憲法94条に反するものである。

さらに、教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じてその個性に応じて行わなければならないという教育の本質的要請に照らし(1976年5月21日旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決)、子どもの学習権充足の見地からは、教育の具体的内容及び方法に関して、子どもの個性や成長・発達段階に応じた教師の創意や工夫が認められなければならない。したがって、子どもの学習権に対応するため、教員には、公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において教育の自由が保障されている。この趣旨は、教育行政の独立を明確に定めた教育基本法16条1項にも現れている。

ゆえに教員の思想・良心の自由及び教育の自由に対する強制は特に許されず、教育の内容及び方法に対する公権力の介入も抑制的でなければならない(当連合会2007年2月16日付け「公立の学校現場における『日の丸』・『君が代』の強制問題に関する意見書」、2010年3月18日付け「新しい学習指導要領の問題点に対する意見書」、2011年2月9日付け「『国旗・国歌』を強制する都教委通達を合憲とした東京高裁判決に対する会長声明」)。

当連合会は、上記観点に立って、大阪府議会に対し、提出された条例案が可決されることのないように求めるとともに、大阪府議会及び府知事に対して、府内公立学校の教育現場に介入して、教職員に対し君が代斉唱の際の起立・斉唱を含め国旗・国歌を強制することのないよう強く要請する。

 

2011年(平成23年)5月26日

日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児


君が代斉唱時の起立を義務化する大阪府条例案に反対する会長声明


 本年5月20日、地域政党「大阪維新の会」府議団は、府立学校の卒業式などの「君が代」斉唱時の起立を教員に義務づける条例案を大阪府議会に提出する旨を、議長に通告した。また、同地域政党代表は、同条例案とは別に、君が/代斉唱時に起立を行わない教員に対する処罰基準を定める条例案を本年9月府議会に提出する方針を明らかにしている。

 憲法19条や市民的及び政治的権利に関する国際規約18条に定める思想、及び良心の自由は、内面的精神活動の中で最も中核を占める重要な権利である。そして、国旗及び国歌に関する法律が制定された現在においても、国民の聞には「日の丸Jr君が代」に対して多様な意見が存在しており、その歴史的経緯に照らし、「君が代」斉唱時に起立することに抵抗を感じる者も少なくない。このことは、「君が代J斉唱時に起立しないことが、決して独善的で特異なものではなく、それが一般に共有可能な歴史観や真撃な動機に基づくものであること、すなわち、思想及び良心の自由として憲法上の保護を受けうるものであることを示している。従って、職務命令や条例によって教員に「君が代J斉唱時の起
立を義務付け、当該義務違反に対して懲戒処分をもって臨むことは、教員の思想及び良心の自由を侵害し、違憲となる疑いが強い。このことは、強制を受ける教員が、公務員である場合も同様である。確かに公務員は「全体の奉仕者」(憲法15条2項)として憲法上位置づけられているが、「全体の奉仕者j とは、国民主権の憲法下での公務員の抽象的な指導原理を述べたに過ぎず、公務員の職務の性質と無関係に、一律全面的に公務員の憲法上の自由を制限する根拠となるものではない。

 2011年(平成23年) 3月10日、東京高等裁判所は、都立学校の教職員に対し卒業式等の国歌斉唱時に起立斉唱等しなかったためになされた懲戒処分を取り消す旨の判決を言い渡した。当該判決は、教職員らの不起立行為が「歴史観ないし世界観又は信条及びこれに由来する社会生活上の信念等に基づく真撃な動機によるもの」であるとし、不起立行為等を理由として懲戒処分を科すことは、社会観念上著しく妥当を欠き不適法であると判示したものである。また、日本弁護士連合会も、2007年(平成19年) 2月16日付『公立の学校現場における「日の丸」・「君〆が代Jの強制問題に関する意見書』において、教職員の思想及び良心の自由、子どもの学習権等の保障の観点から、各都道府県及び各市区町村教育委員会に対し、「入学式、卒業式等の学校行事において、教職員に対し、国旗に向かつて起立しなかったり、国歌を斉唱しなかったり、国歌斉唱の際にピアノ伴奏をしなかったりしたことを理由として、いかなる不利益処分も行わないこと」等の意見を述べている。

  さらに、地方公共団体の制定する条例によって教員に対して起立を強制するという手法自体、条例制定権を「法律の範囲内Jに限定する憲法94条に抵触するおそれがある。また、教育に対する「不当な支配」の排除を定めた教育基本法16条1項に抵触するおそれが強く、教育の政治的中立と教育行政の安定を確保するという教育委員会制度の趣旨を損なうおそれがある。教職員の一挙手ー投足にかかわることを、現場の個別的判断ではなく、条例で一律に強制することは、学校職場に無用の混乱を引き起こすことになりかねない。地方公共団体が独自の条例により、国家機関とは別個に、君が代斉唱時における教員の起立を強制する必要性が存在するとは考えられず、あえてかかる条例を制定す
ることは、教育に対する過度な統制になりかねない。

  また、入学式などで教員の起立強制がなされると、出席している子どもは、事実上起立を強制されたり、起立するよう心理的な圧迫を受けることとなる。これは、子どもの思想及び良心の形成に配慮し、一方的な理論や観念を教え込むことのないよう配慮して、多様な思想や考えを学習する環境を保障すべきであるとする学校教育の理念に抵触するおそれがある。

  当会は、思想、及び良心の自由の重要性に鑑み、今回大阪府議会に提出された上記条例案は違憲・違法の疑いが強いこと、条例による義務付けという手法自体問題が大きいことから、上記条例案の制定に反対する。今後上記条例案に関し、大阪府議会において府民の人権に配慮した冷静な議論がなされるよう、強く望むものである。

2011年(平成23年) 5月24日
大阪弁護士会
会長中本和洋



2011年5月25日

各位

君が代斉唱時の起立を義務化する大阪府条例案に反対する意見書

大阪労働者弁護団
代表幹事大川一夫
(連絡先)〒530-0047 大阪市北区西天満4-5-8-501
電話06-6364-8620 FAX06-6364-8621

1 本年5月20日、地域政党「大阪維新の会」府議団は、府立学校の卒業式などの「君が代」斉唱時の起立を教員に義務づける条例案を大阪府議会に提出する旨を、議長に通告した。
しかし、同条例案は、「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」と定める憲法19条に反して違憲であり、教育基本法16条1項に違反する。
理由を以下に述べる。

2 君が代斉唱時の起立義務付けは憲法19条に違反すること
「君が代」は、国旗国歌法が国歌として規定する楽曲であるが、もともと明治時代の初めに、軍隊が天皇を迎えて敬礼する曲として採用されたもので、歌詞の内容も「天皇の治世
がいつまでも続くように」との内容が込められている。その後、この曲の「精神」は、軍国主義体制の維持のために政治権力により利用され、先の世界大戦時には、人の命よりも、天皇制の維持を優先するイデオロギーの象徴としての役割を果たし、悲惨な戦争遂行に利用されたという歴史背景がある。
 そのため現在も、「君が代」を斉唱する行為や斉唱時に起立する行為が、特定の国家観・歴史観の保持の表明にあたると感じ、自身の歴史観・国家観に照らして、これを行いたくない、または、行うべきでないと考える者がいる。上記の歴史的背景や歌詞の意味からすれば、それは十分に理解しうる考え方である。
 とりわけ、戦前に「お国のために死ぬように」との教育を行い、あたら若い希望に満ちた命を散らせる結果をもたらした教育界にとって、戦後「二度と子どもたちを戦地に送るな」が悲願であった。よって、教職にある者の中で、より一層、君が代に込められた国家観や、これを子どもたちに無批判に「植え付ける」ことに、強い抵抗を感じる者があるのは自然の道理である。この点、教員の不起立行為等が、こうした「真摯な動機」に基づくものであることは、2011年3月10日・東京高裁判決も認めるところである。
 上記のような国家観・歴史観を持つ者にとって、「君が代」の斉唱や斉唱時の起立行為は、その国家観・歴史観と不可分一体であって、思想及び良心の根幹に関わるものである。
 従って、これを条例により義務づけることは、憲法19条に違反し許されない。
 この点、音楽教師の「君が代」伴奏に関する2007年2月27日最高裁第三小法廷判決は、上記の観点から賛同できないものであるうえに、同判決も条例による起立義務付け
の点を判断したものでない。
 なお、公務員が「全体の奉仕者」(憲法15条2項)であることを理由に、起立等の義務づけが許されるという議論は、失当である。「全体の奉仕者」の趣旨は、すべての市民に公平平等に公的サービスを提供するという理念を表明したもので、国家権力によって特定の国家観・歴史観を強要されることを甘受すべき理由にはならない。

3 教育に対する不当な支配にあたることについて
教育基本法16条1項は、「教育は、不当な支配に服することなく」と規定している。
 これは、時々の政治的多数派による特定の価値観を、公教育の内容や教育行政の遂行に反映させることを防止し、公教育の継続性と中立性の確保を求める趣旨である。また、国家権力による教育内容への介入の結果、児童・生徒らが、国家権力の方針に無批判に従う方向へ操作された戦前への痛恨の反省も背景にある。
 前述のとおり、「君が代」は、その歴史的背景に照らし、個人の国家観・歴史観と結びついており、公教育現場において、公権力が教員らに対して、その斉唱時の起立を強制す
ることは、公権力が「君が代」をとおして、特定の価値観・国家観を教育現場に持ち込むことを意味する。
これはまさに、公権力が、特定の国家観・歴史観を、教育の内容や教育行政の遂行に反映させようとするもので、「不当な支配」そのものであるから、到底許されない。

4 教員以外の市民の、思想良心の自由にも圧迫をもたらすこと
仮に、君が代斉唱時の起立を義務付ける条例が制定された場合には、生徒も、事実上起立せざるを得なくなり、さらには、参列した保護者来賓も起立せざるを得なくなる状況が
作り出されることになる。ひとたび、思想良心の自由を侵害する内容の条例が制定された場合には、それは、教員のみにとどまらず、広く府民全体に広がり、最終的には、社会全体で、個人の思想・良心の自由が封殺される土壌を形成することとなろう。
 なお、教員による不起立行為等は、子どもの学習権を奪うというような論調もあり得るが、全くの失当である。むしろ、「君が代は、絶対に立って歌うもの」として教員に強制しながら、「教える」ことこそ、「君が代」にまつわる歴史的背景や問題点を学ぶ機会と、それに基づく自発的な思索を行う機会とを、児童・生徒から奪うものである。

5 以上により、大阪労働者弁護団は、大阪維新の会が提案しようとしている君が代起立義務付け条例案に断固として反対するものであり、同条例案は、撤回ないし廃案とされるべきは明白である。

以上