Home人権関係新聞記事DB>新聞で読む人権>本文
2007.10.25

新聞で読む人権
2007年10

高校「郷土部」によるアイヌ伝統の小船づくり

  • 9月16日 朝日新聞 大阪 アイヌ伝統の小船作った 旭川の高校「郷土部」部員、川下る

 全長8メートルの丸木舟が、今年8月、北海道旭川市の石狩川2.5キロの区間を40分かけて川下りをしました。この丸木舟をつくったのは旭川竜谷高校でアイヌ文化を研究する「郷土部」(顧問・本間愛之教諭)の部員たち。アイヌ語では、この丸木舟を「チプ」と呼びます。昨年夏から制作に取りかかり、丸1年の期間を費やしての完成です。

 制作場所は、「川村カ子トアイヌ記念館」。1916年、故・川村カ子ト氏が私設で開いたアイヌ民族文化の保護・伝承を目的としたもので、アイヌ文化資料館としては、日本で最も古いものです。「チセ」「イナウ」「チプサンケ」と記事にはアイヌ語が散見されます。「チセ」とは、「コタン」(アイヌの人たちのムラ)に建つ住宅のことです。「チセ」は屋根の傾きが4方向にあることが特徴で、「チセ」を建てるときは、ムラ中の協力で建てたといわれています。「チセ」の前庭が、この「チプ」の制作場所です。「イナウ」とは、祭具のひとつの木幣で、ヤナギやミズキの皮をはぎ、カムイノミ(神への祈り)の際に祭壇に立て、「イナウ」が神の国へ飛んで祈りを届けるものと伝えられています。ここでは、制作している「チプ」が水難に遭わないようにと願いを込めているそうです。「チプサンケ」とは、「チプ」の進水の儀式で、8月19日、「チプ」の舳先に「イナウ」を付け、石狩川へ漕ぎ出しました。

 クラブ活動としてアイヌの人びとの伝統や文化を「体験型」で取り組んでいる旭川竜谷高校「郷土部」の面々たち。顧問の本間教諭が、自然と共存したアイヌの人びとの生活を学ぶことは、今の日本社会でも改めて必要とされていると述べられています。

 しかし日本の歴史は、この学び体験しようとするアイヌの人々の文化と伝統を奪い破壊し続けてきたともいえます。江戸時代を端緒に、とりわけ明治政府から現在に至るまでの歴史は、迫害と収奪が繰り返されてきました。

 1899年(明治32年)に「発布された北海道旧土人保護法」は、その法名称の蔑視観はもとより、法のねらいの中心には、明治政府が欧米列強と結んだ所謂「不平等条約」の改訂に向けて、日本国内の少数民族保護をアピールするためのアリバイ的側面の強いものでした。ですから「農業の奨励」や「学校教育」の普及、また「貧困への援助」などが条文には存在していますが、その実は「伝統の破壊」であり「生活様式の変更」の強制であり、加えて耕作に向かない丘陵地や沼地などへアイヌの人びとを閉じ込める策として機能しました。元来、アイヌの人びとは狩猟、とりわけ漁業を中心に生計を営んでいましたが、不慣れな農業へ強制転換を迫られ生活習慣や文化を奪われていきます。

 この根底には、明治政府の財政難を大きく補填した1873年の「地租改正法」が大きいといわれています。北海道(1869年に「蝦夷地」から「北海道」に改称)において、その前年、1872年に2つの土地政策の条例が施行されます。「北海道土地売買規制」と「地所規制」です。これらは、アイヌの人びとによって占められていた土地を、本土からの移民が自由に処分できるように規定したものです。アイヌの人びとは、生活圏として土地を使用しますが、元来、土地の私的所有概念を持たない人びとです。移民に対し、北海道「開拓使」は土地売却を進め、さらに1877年には「北海道地券発行条例」により、アイヌの人びとの居住地も官有地とされ、法的にもアイヌの人びとには土地所有を認めないことが追認されてゆきます。これによりアイヌの人びとは、わずかな居住地そのものも追われてゆきます。

 100年以上を経た1988年「ウタリ問題懇話会」(北海道知事の諮問機関)は、「北海道旧土人法」の廃止と、「アイヌ新法(仮称)」制定の必要性を答申します。旧法の廃止と新法の制定に奔走された故・萱野茂氏が、アイヌ初の参議院議員に当選されるのは1994年です。国において、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」制定と「北海道旧土人保護法」が廃止となるのは、1997年を待たなければなりませんでした。

 しかしこうした高校生の取組みにも見れるように、少しずつアイヌの人びとの暮らしや文化、とりわけ自然と共存し、自然のなかに生きた姿の共感の輪が拡がっています。