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2008.04.11
書籍・ビデオ案内
 
Human Rights 2007年6月号(NO.231)
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ジェンダーで考える教育の現在

第6回 女子校における女子型エリートの育成

今田絵里香(日本学術振興会特別研究員、教育社会学)

仕事も結婚も

 女の成功は大きくいって二つある。一つはキャリア・ウーマン、もう一つは専業主婦として成功することである。キャリア・ウーマンとしての成功は、仕事をバリバリとこなし、たくさんの収入を獲得し、誰もが羨むような社会的地位を得ることであろう。専業主婦としての成功は、そのような高収入、かつ名誉ある社会的地位をすでに備えた夫を獲得することである。

 ところが最近メディアにおいて、それらとは異なる成功が氾濫している。それは、仕事においても出世し、かつ幸福な結婚生活も手に入れるという成功にほかならない。テレビや雑誌を見ると、女優、モデル、タレント、ミュージシャンなど、若い女性たちの羨望を集める人びとが出てくるが、このような人びとのうち、かつてのように結婚をきっかけにして仕事を辞める人は少なくなってきている。むしろ結婚と出産を経験してもなお仕事を継続し、活躍しつづけることが当たり前になってきた。そしてそのような「仕事も結婚も」充実させる生き方は、さも素晴らしい生き方であるかのように演出され、宣伝されている。

女子型エリートの育成

 このような「仕事も結婚も」という、オノ・ヨーコ型、あるいは松田聖子型(どちらも死別や離別によって夫はいなくなってしまったが)ともいえるタイプは、メディアだけでなく、現実にも存在するのだろうか。それについては実際のところ不明であるが、2005年に木村涼子・古久保さくら・土田陽子とともにおこなった関西の私立高等学校調査(男子校2校、女子校2校、近年共学化した共学校3校。2年生の生徒に質問紙調査、教育関係者にインタビュー調査を実施。質問紙調査の有効回答数1621ケース)では、そのような「仕事も結婚も」という将来像を描く女子と、その保護者に狙いを定めた女子校(A高校とする)の存在を確認することができた(注1)

 このA高校は、語学教育に力を入れるなど、男子とは異なる女子型エリート教育をおこなっている。いうまでもなく、語学能力は男子よりも女子のほうが優れていると一般に思われる傾向にある。また、それゆえに大学においても職業においても女子の活躍する余地が残されている分野でもある。このような語学能力開発という女子教育の方針を掲げることによって、A高校は女子校として存続することに成功していた。

 近年、全国的に共学化が進行している。大阪府だけを見てみても、私立高校における男子校・女子校の割合は年々低くなっている。1990年には77.4%であったのが、1995年には72.1%、2000年には53.7%、2005年には48.4%になっているのである。背景には共学高校を支持する生徒・保護者の増加がある。このような共学校人気を受け、私立の別学高校は生徒獲得のために苦戦を強いられ、共学化に踏み切る高校もあらわれた。そんななか、A高校は女子校として生き残っている。すなわち、女子型エリート教育は、女子校の生き残り戦略として有効なものであり、女子や保護者のなかにも一定のニーズがあるといえよう。

 もちろん、女子に男子型エリート教育をおこなう高校も存在する。調査からはそのことも確認できた。男子型エリート教育とは、男子と同様に学歴獲得競争を生き抜く女子を育成する教育である。このような教育からゆくゆくはキャリア・ウーマンとなる人材が輩出されることは想像に難くない。また、専業主婦予備軍を育て上げようとする高校も存在することもわかった。しかし、女子型エリート教育とは、そのような昔ながらのエリート教育でも専業主婦予備軍養成でもない、もう一つの教育のありかたなのである。

女性性利用型成功

 それでは、女子型エリート教育をおこなう女子校において、女子生徒たちはどのような意識を持っているのだろうか。質問紙調査の結果(A高校国際科の生徒、有効回答数145ケース)から、見ていくことにしよう。

 彼女らは、一見すると、男/女というジェンダーを強化するような意識を持つ。彼女らは、「女性には体力・精神力の面で向かない仕事もある」(78.7%〔「非常にそう思う」と「ある程度そう思う」を足したもの。以下すべて同じ〕)、「数学や理科は女子より男子の方が得意だ」(59.9%)、「国語や英語は男子より女子の方が得意だ」(54.7%)、「子どもが3歳くらいまでは母親は家にいる方がよい」(84%)、「女性は子どもを生めば自然と母性愛がわいてくる」(81.6%)という項目において、それらを支持する割合が高いのである。つまり、彼女らは女であることを引き受けている。そして女には女にしかできない役割がある、と認識しているのである。

 それとともに、「男性は女性を守るべきだ」(78.7%)、「デート費用は男性が払うべきだ」(44.2%)という項目について支持する割合が高く、男子にも男であることを引き受けてほしい、引き受けるべきだと思っているようである。とりわけ、男子には、女子を保護するという役割を強く期待していることがわかる。

 これだけを見ると、女子生徒たちは、男/女というジェンダーを肯定し、男/女それぞれに振り当てられた役割に従順であるように思える。その意味で、専業主婦予備軍となり、そのまま専業主婦になるというコースをたどってもおかしくないように思える。

 ところが、女子生徒たちは近代的な性別役割分業については、はっきりと否定するのである。「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」13.1%)という項目について支持する割合はきわめて低く、「女性は男性をたてた方がよい」(27.7%)も、「リーダー的役割は男性に向いている」(27.4%)も同様に低い。つまり、結婚しても仕事を続け、職場でも家庭でも男の同僚や夫にたてられ、また仕事でも家事でも自らがリーダーシップを執る。このようなことを彼女らは思い描いているのである。これはまさに「仕事も結婚も」充実させる人生にほかならない。

 だからこそ、将来展望を尋ねると、「社会で成功したい」という項目に関連するものすべて(「社会で成功したい」〔88%〕、「社会で自分の能力をためしたい」〔91.8%〕、「社会のために役立つことをしたい」〔83.3%〕、「経済的に今よりも豊かな生活をしたい」〔85.9%〕、「大人になったら稼ぐのが当たり前だ」〔94%〕)を支持する。すなわち社会で自分の能力を発揮したい、社会に貢献したい、そして自分自身も成功を収め、経済的に豊かになりたい、と望むのである。同時に、「結婚して幸せな家庭を築きたい」という項目に関連するものすべて(「結婚して幸せな家庭を築きたい」〔89.4%〕、「将来、子どもをもって親になりたい」〔87.3%〕、「愛する人と結ばれるのが最も重要だ」〔86.5%〕)においても肯定する。すなわち、社会的・経済的成功だけでなく、幸福な結婚生活も同時に手に入れたいともくろんでいるのである。

 したがって、調査結果からはこんな人生が浮かび上がってくる。仕事においては、女にふさわしいとされる語学能力などを発揮し、成功を収める。結婚生活においては、女として愛されながら、子どもを養育する。そのためにはまわりの男たちの支援が不可欠である。仕事においても結婚生活においても、常に上司や同僚、あるいは夫といった男たちに守護され、経済的に支援され、メンツをたてられる。そんななか、自分はリーダーシップを発揮し、男たちを従わせるのである。わたしたちは、このような成功を女性性利用型成功と名づけた。

非現実的な成功

 ただし、それが実現できるかどうかということを考えてみると、実際には実現困難であるといわざるを得ない。いうまでもなく、仕事をしながら子育てをしていくことは現在の日本社会では難しい。不足している育児施設、上司などの理解が得られにくい育児休業、男女ともに長時間労働を強いられることなど、制度としても子育ての環境は整っているとはいえないし、まわりの理解も得にくい。

 「仕事も結婚も」という生き方を実現している有名人たちは、オノ・ヨーコを見てみても、資産家の出身であったり、特殊な才能を持ち合わせていたり、たぐいまれな美貌であったりと、いくつもの幸運な条件が重なって、ようやくその地位を獲得できた人たちにほかならない。とりわけ、実家がたいへんな資産家であるということは欠かせない条件であろう。有名人たちはそうやって獲得した地位と収入によって、ハウスキーパーやベビーシッターを雇い、周囲の支援を動員し、「仕事も結婚も」という生活を謳歌しているのである。大多数の平凡な女子に同じことができるとは思えない。

 ただ、それゆえに憧れはますます増幅するのである。わたしはかつて、近代日本の少女雑誌『少女の友』『少女画報』を分析し、雑誌のなかで少女たちの憧れをかきたてた女性像を明らかにしたことがある(注2)。1930年代に誌面を飾ったのは、芸術家と少女歌劇・映画のスターであった。むろん、誰にでも手の届く存在ではない。だからこそ、憧れはかきたてられ、少女たちは熱中したのである。

「見えない」差別を克服するために

 それでは、このような「仕事も結婚も」という将来展望を抱く女子はどのようにして生じてきたのだろうか。これまで一定の割合で存在した男子型エリート女子がすべて方向転換し、女子型エリートに転じてしまったのだろうか。そうとはいいきれないであろう。先ほどの関西地域における私立高等学校調査においても、男子型エリートコースを歩む女子は一定の割合で存在することがわかっている。男子型エリートはちゃんと存在している。それでは、どう説明するべきだろうか。こういえるかもしれない。男子型エリートコースを歩む女子は、経済的に恵まれた階層の出身者であることが多い。そのような階層の女子にのみ見られた職業獲得志向が、そうではない階層にも拡大しつつあるといえるかもしれない。ただ、その職業獲得志向は拡大の過程で、「仕事も結婚も」という男子型エリートとは異なる志向に形を変えていることから、ただ単に職業獲得志向の拡大とか、浸透という言葉では片づけられないものであるともいえる。しかし、実際のところは不明な部分も多く、今後の研究において解明していかなければならない。

 また、「仕事も結婚も」という目標を掲げ、邁進する女子はこれからどうなるのだろうか。現実にはその目標は実現困難なものである。このような女子が大学を卒業して職業を得ようとしたとき、あるいは結婚して子どもを産もうとしたとき、「仕事も結婚も」という目標は絵に描いた餅にすぎなかったことに気づくかもしれない。そのとき、その女子はどうなってしまうのだろうか。これについてもよくわからない。ただ、わたしがかつておこなった近代日本の少女雑誌分析においてはこんなことがわかった。芸術家やスターを目指して努力を積み重ねた女子はやがて挫折し、そのほとんどが専業主婦になっていった。ただし、吉屋信子など、一部の女子だけが少女雑誌の投稿家から小説家に転身し、夢をかなえていった。しかし、一部の女子の成功があるからこそ、大多数の女子は自分の挫折を社会のせいだと考えにくくなる。実際に成功している人がいるのだから。社会に差別的な構造があるからだ、といえなくなってしまうのである。挫折は自分の才能と努力が足りなかったせいだと納得し、あきらめざるを得ない。したがって、芸術家やスターなど、実現困難な理想像を掲げる少女雑誌(と、そのような階層文化。そして「少女」という存在そのもの)は、大多数の女子に職業達成をあきらめさせ、専業主婦にさせるための実によくできた社会装置だとわたしには思えた。これは実は現在においてもあてはまることではないだろうか。

 現在、学校は理念上男女平等を掲げている。また、職場においても1986年に男女雇用機会均等法が施行された。しかし、学校においても職場においても差別は存在する。そうでなかったら、「結婚も仕事も」という男性なら当然かなえられる目標が、どうして女性には困難にならざるを得ないのだろうか。しかし、差別は見えにくくなっている。建て前としては、仕事も結婚生活も同時におこなえるように思える。そしてむろん、ごく一部の女性はそれを実現している。そのような女性を見ると、実現できなかった人はあきらめざるを得ない。自分の才能と努力が足りなかったのだと。それでも「仕事も結婚も」という夢をかなえようとすると、家事をしつつ、パートタイマーという低賃金かつ不安定な仕事をすることになろう。それを社会における差別構造のせいにするのではなく、自分の無力さのせいにして。そう考えると、メディアに氾濫する「仕事も結婚も」という理想的な女性像は、女性たちの不満を封じ込めつつ専業主婦とパートタイマーを大量生産するための実によくできた社会装置といえるかもしれない。

 したがって、見えにくくなった差別をどうとらえ、どう克服するか。このようなことが、男女雇用機会均等法施行以後の世代のわたしたちにとって、大きな課題となるように思える。


(注1)『男女共同参画社会における男女共学化、共修化の研究』、2000-2005年度科学研究費補助金(基盤研究〔B〕〔1〕)研究成果報告書(代表 佐藤和夫〔千葉大学教育学部教授〕)

(注2)今田絵里香『「少女」の社会史』勁草書房、2007年。


『「少女」の社会史』 今田 絵里香著

勁草書房 A5・3,465円(税込)

「子ども」でも「少年」でもない「少女」は近代に生み出された。「少女」創出期から敗戦までの日本における「少女」イメージの変遷を、少女雑誌を題材に分析する。

「少女」とは都市新中間層の女子であった。学校教育制度が「少女時代」という時間を創出し、少女雑誌がそれにイメージを与えた。「少女」という表象の歴史的変遷を、少女雑誌の内容構成と読者の受容過程から考察し、「少女」の社会的機能を解明する。従来一枚岩に捉えられていた「子ども」に、ジェンダー要素が付加される過程を描く。(勁草書房HPより)