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2008.04.09
書籍・ビデオ案内
 
Human Rights 2008年1月号(NO.238)
もう1つの世界を求めて
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シリーズ いっしょに動こう、語りあおう 第3回

加島もと青少年会館を訪ねて

池内正史(いけうち・まさし 京都精華大学・非常勤講師)

1、はじめに

2007年3月に行われた大阪市の青少年会館条例(以後「青館条例」と略)の「廃止」が、青少年会館所在の12地区の子育て環境にどのような課題を生じさせているのか。その「おおよその傾向」については、本誌11月号掲載の論稿において詳しく検討がなされている。1

本稿はこうした全体的な傾向を踏まえた上で、特に加島もと青少年会館とその周辺地区における子育て環境への影響について、かつて館の事業であった「子どもの広場」事業に関わる変化に焦点をあてつつ、掘り下げようとするものである。

なお本稿は、部落解放・人権研究所による調査研究「『青少年対象施設を中心とした各地区拠点施設のあり方』検討プロジェクト」2によるヒアリング調査の結果を参照しつつ、その内容を筆者の責任において再構成・執筆したものあることをお断りしておきたい。また、部落解放同盟加島支部、周辺地区保護者の方など、ヒアリング調査にご協力いただいたみなさんに、この場を借りてあらためて御礼を申し上げたい。

2、青館条例「廃止」以前の状況

加島もと青少年会館(大阪市淀川区、以後「加島青館」と略す)は、JR東西線・加島が最寄り駅である。1997年の東西線開通以降、駅周辺が大幅な人口増の傾向にあり、地元の公立小学校では現在も児童数が増加中である。

条例「廃止」直前の2006年度、加島青館の利用者は延べ約6万2000人に上り、そのうち加島地区内の子ども・青年等の利用は約2000人。館における事業・活動内容としては、例えば1.識字教室事業、2.不登校など課題を抱えた青少年へ相談・居場所の提供をおこなう「ほっとスペース」事業、3.体育館等の貸館事業、4.子ども・青年・成人の教育・文化・スポーツ活動(具体的には太鼓、書道、陶芸、絵画、けん玉、バレーボール、絵本の読み聞かせ等々)、5.乳幼児の子育てサークル活動、そして6.学校の放課後や土曜日、長期休み期間中の子どもが集い、担当の指導員とともに学び、遊ぶという「子どもの広場」事業等が実施されていた。

「6万2000人(地区内2000人)」という2006年度の延べ利用者数から何を読みとるのかについては、より詳細な分析が必要だろう。ただ、「広く青少年の健全育成を図る」という青館条例の趣旨に沿った事業が展開し、子ども・青年が日々活発に活動していたということを裏付けるには十分な数字であろうと思われる。また、加島青館の場合、2006年度の延べ利用者数から見ると、青館条例改正(1999年)の趣旨のとおり、「同和地区」内に対象者を限定した青少年拠点施設としてではなく、「一般施策としての青少年拠点施設」という位置づけに移行し、実績を示しつつあったということがわかる。

とりわけ加島青館の場合、同館の基幹的な事業のひとつとなってきた「子どもの広場」事業(以下、「広場事業」)には、常に定員を超える登録希望があった。このため加島青館では、他では受け入れの難しい障がいを持つ子どもの希望者を優先しつつ、時には定員を若干超える人数が参加していた。また、子どもたちは小学校低学年・高学年と分かれた上で、学校の宿題、図画工作、遠足、読書、プール、遠足等々といった取り組みを指導員とともにおこない、土曜や長期休みには給食も実施されていた。そして、広場に関わる指導員やスタッフと子どもたちの間には「顔の見える深い関係」があり、時には子どもの側の悩み事やメンタルな課題を、学校・家庭の外の大人の目線から助言することもできたという。

上記の広場事業に代表される「かつての」青館をめぐっては、保護者の方などから、繰り返し「子どもが青館に通うのを楽しみにしていた」という話を聞くことができた。また、「青館に行ってるわ」という子どもに保護者の側も「青館やったら安心や」とその事業・活動内容に信頼感を感じてきていたし、館での子どもの様子は日常的な職員とのやりとりのなかで自然と保護者に伝わってきていたという。

当たり前だが、「青少年を対象とした社会教育施設」という位置づけがあっても、直接の利用者である子どもにとって魅力がなければ、子どもの活動場所・居場所として機能はしない。教育・子育てをめぐる安全や安心が社会の関心事となるなか、地域の教育活動の拠点として加島青館が有効に機能してきたことは、以上のような話からも十分にうかがい知ることができるだろう。

ちなみに、青館条例「廃止」の方針を出す前に、当時の関大阪市長は加島青館の見学を行ったらしいが、いったい、ここで何を見て「廃止」方針を決めたのだろうか。

3、条例「廃止」以後の状況

さて、青館条例が「廃止」された2007年4月以降、加島を含む市内すべての青少年会館は条例にもとづく施設としての位置づけを失い、「もと青館」となった。

加島のもと青館でも、ほぼすべての事業が廃止され、サークル単位で新たに登録した市民に会議室・体育館利用を供するというのが、現在の主な活用方法となっている。ただ、数少ない事業として継続されたもののなかには識字教室があり、15人ほどの地域の方々がその運営を支えつづけているとのことである。

また、ほっとスペース事業は、2007年春に設置された大阪市の「子ども青少年局」の所管へと移行したが、基本的にはこれまでと同じかたちで事業が継続されている。ただし、かつて条例施設だった当時はできていたほっとスペース事業と青館の他事業や地域との関わり(例えば、加島地区の夏祭りへの出店など)は、現在、薄れてきたとのことである。

このような状況下において、従来の青館での活動を継承するという意味から注目されるのは、周辺地区住民等による「自主サークル」結成の動向であろう。実際、条例「廃止」を前にして「今後はサークル登録をしないと館を使えないよ」といった利用者への案内が積極的におこなわれたことで、多数の教育・文化・スポーツのサークルが活動を継続している。

ただし、加島もと青館が貸し出しをおこなっている会議室・体育館は、この間、地区外の成人の利用希望が増加したこと等により、周辺地区の子ども・青年・成人といった従来からの利用者がなかなか使えないという傾向にあるという。「市民利用施設」という「もと青館」の位置付けからすると、このこと自体は、市民の施設利用が促進されているということもあって、一概に否定されるべきものではない。しかし、地元の子ども・青年が条例廃止前よりも使えない傾向にあるというのも、いかがなものだろうか。

ただ、青館から活動をコーディネートする機能・職員の存在が失われた今、これまでの青館の活動と精神を受け継ぐものがあるとすれば、そのひとつは、困難のなかをねばり強く続けられているこの自主サークルということになるのだろう。この自主サークルに対して、行政によるものかどうかは別として、どのようなサポートが必要かということが、今後のもと青館に関心を持つ者に大きく問われてくるのではないだろうか。

4、「広場」から「いきいき」への間で起こっていること

一方、さきに触れた青館の広場事業は、青館条例とともに「廃止」された。広場事業に集まっていた子どもたちのなかには、以後、大阪市が地元小学校において実施している「児童いきいき放課後事業3」(以下、「いきいき」)へと移ることになった子どももいる。この「いきいき事業」は、以前より広場事業と並んで実施されてきたものであり、その活動趣旨・内容には共通性も見出される。

ところで異例なことに、現在の加島もと青館では、本来は地元小学校でおこなわれるはずのいきいき事業を、いわば場所を「貸す」かたちで丸ごと受け入れている。これは児童数増加によって必要となった、学校の一部改築工事という事情によるものである。

筆者としては、広場事業が廃止された結果としてのこの「移行」について、当然それがスムーズに進んでいくことが望ましいと考える。だが、ヒアリングで出会った保護者などの話からは、必ずしもそうなってはいない現状もうかがえた。

肝心なことは、行政的な施策の位置づけや名称がなんであれ、まずは当事者である子どもたちが放課後等に安心して、楽しく過ごせる活動場所・居場所が少しでもいい条件で保障されることであろう。蛇足ながら、以下の記述は、単に「広場事業」がよくて「いきいき」がダメだということを主張したいがためのものではない。

まず今回のヒアリングでわかったこととして、かつて広場に集まっていた小学校高学年の子どもたちの多くが、いきいきには参加していないということがある。関係者の理由説明をひとことにまとめれば、「活動に魅力が感じられない」からということである。低学年の児童なら活動への物足りなさをまだ行動に表さなくとも、高学年になれば違うというわけである。では、その原因・背景は何であるのか。ひとつには児童数に対し、指導員の数が不足していること等、「いきいき」を運営する上での基本的な条件であり、ふたつには「事故防止」という点などから規定された指導員と子どもの関わりの質、この2つの問題ではないか、ということであった。

例えば、現在の「いきいき」における子どもたちの過ごし方を典型化すると、次のようになる。まず、平日には150名(土曜日30名)という、広場の時の約3倍にあたる子どもが集まる。だが、現状では少ない「いきいき」指導員の目を行き届かせ、事故を防止するという観点から、基本的には一カ所に固まり、全員に同じ活動をさせなければならないという。このため、加島青館での「いきいき」では、「芋の子を洗うような」と関係者から表現されるような環境を強いられる上、「宿題」や体育館での「ドッヂボール」など活動内容も自ずと単調になってしまうという。また、指導員は子どもに深く寄り添うといったことは難しく(名前すらなかなか覚えられない)、むしろやや距離を置いて見守るということになりがちである。そして、障がいのある子どもへの配慮にも「事故防止」といった意識のみが先立ち、安全面でのトラブルを回避するという意味で、他の子どもとかかわること自体を制約するような場面もあったという。

このように、指導員の配置数や事故防止といった点などから、今のところ「いきいき」では、指導員・子ども間の一対一の深い関係が生まれにくく、のびのびと「○○ができる・したい」というよりも「○○をしてはいけない」という管理的な色彩が強くなっているように思われる。ただし、こうした状況には、いきいきの指導員の間からも「何とかしたい」という気持ちが高まり、現在では活動のあり方などについて、話し合いの場が以前よりひんぱんに設けられるようになりつつあるという。

このほか、ヒアリングの場面では、以前、広場事業にかかわっていた方から、「ただの学童ではないものをずっと作ってきた」という自負の他方、現状の「いきいき」において「例えば部落差別発言や障がい児への差別があったとき、指導員はどのような対応ができるのか」という不安・疑問が出されていた。「部落解放子ども会」の活動を出発点とし、人権の視点を基礎に置いた青少年のための社会教育活動をおこなってきた青館と広場事業を廃止し、行政側がそれに変わる受け皿として「いきいき」を設置するのならば、ふたつの事業の間に横たわる質的な差異を埋めようとする取り組みが求められるのではないか。また、現在の運営システムを前提としつつも、例えば「いきいき」の運営に地元の保護者等の意見を反映させたり、これまで青館の広場事業で蓄積してきたノウハウが活用できるようなしくみをつくったりすることが必要とされているのではないだろうか。

以上、ヒアリングを通して知りえた加島もと青少年会館をめぐる現状について、主に子どもの居場所・活動場所の変容に注目しつつ記してきた。多くの人びとから発せられる思いや熱意といったものに触れるなかで、青少年拠点施設としての青館が廃止されたことの直接の影響だけにとどまらず、大阪市の子ども施策や被差別部落の子育て環境をめぐる諸課題が浮かび上がってくるように感じさせられた。


1 住友剛「大阪市の青少年会館条例廃止は各地区に何をもたらしたか?」参照

2 同プロジェクトの活動趣旨等については部落解放・人権研究所ホームページ内(http://blhrri.org/kenkyu/project/seikan_p/seikan_p.html)を参照のこと

3 いきいき事業については(http://www.kyoiku-shinko.jp/sisetu/child/index.html)を参照