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2008.04.09
書籍・ビデオ案内
 
Human Rights 2008年2月号(NO.239)
自らを表現すること
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シリーズ いっしょに動こう、語りあおう 第4回

条例「廃止」後の矢田もと青少年会館

池内正史(いけうち・まさし 京都精華大学非常勤講師)

一、はじめに

本稿では、2007年3月の大阪市青少年会館条例(以下、「青館条例」もしくは「条例」と略)の「廃止」動向をきっかけに生じた、矢田もと青少年会館(大阪市東住吉区)をとりまく状況の変化について報告していく。

今回の報告も、加島もと青少年会館をとり挙げた前回と同様、部落解放・人権研究所の調査研究プロジェクトがおこなったヒアリング調査の結果を参照した上で、その内容を筆者の責任において再構成したものであることを、まずはおことわりしておきたい。また、部落解放同盟矢田支部の方、周辺地区保護者の方、館の関係者の方など、お忙しいなかでヒアリング調査にご協力いただいたすべての方々に、この場をお借りしてあらためてお礼申し上げる。

ところで、以下に触れていく矢田もと青館をめぐる状況には、すでに当連載で報告がなされた他館と重なる部分も多いことを、読み進められるなかでお気づきになるかもしれない。事態が市の条例「廃止」ということに端を発する以上、これは当然のことである。ただ本稿では、条例「廃止」がもたらすさまざまな困難や課題の共通性とともに、なるべくその個別具体性にも注目するかたちでの報告を心がけていきたい。

2、中学生など多くの利用のあった「廃止」前の状況

では最初に、青館条例の「廃止」以前の矢田青館の様子について見ておきたい。

「廃止」直前の時期まで、矢田青館(以後、特に断りがなければ「青館」と略)の講座等として支援がなされてきた諸事業としては、一輪車、親子での陶芸、ダブルダッチなどがあった。それぞれが数年単位の活動実績を持つなかで、最終的に期待されていたのは講師・利用者による自主的なサークル活動に脱皮していくことであった。

このほか、青館の近年の新しい取り組みとしては、乳幼児の子育て広場が挙げられる。ここには保育所等の他施設と掛け持ちも含め約120組という多数の登録があり、土日以外の平日に活動がおこなわれていた。特に、館に備え付けられていた絵本の人気が高かったとのことである。

さらに他の館と同様、矢田青館においても、課題を抱えた青少年に対する相談対応・居場所の提供をおこなう「ほっとスペース」事業が実施されており、市内の他区からの登録をも含め10名程度の子どもたちが集まってきていた。また識字教室も、地区内・外の住民や外国人の方等が集まり、週1回のペースで開催されていた。

歴史的に館の基幹的事業のひとつであった「子どもの広場」事業についても紹介しておこう。広場事業は、矢田の場合、中学生の登録者数が約140名と目立って多いのが特徴的であった。他方で、小学生は土曜・長期休暇の利用が中心であったが、これは利用者の多くが「児童いきいき放課後事業」(以下、「いきいき事業」と略)と2重に登録したうえで、平日は学校でのいきいき事業に参加するという「使い分け」をしていたということと理解できる。ちなみに付け加えるなら、広場事業をはじめとする矢田青館の利用登録者の6-7割が同和地区外の子どもたちであり、ここからは「一般施策としての青少年拠点施設」への移行という位置づけの変化以降も、さらに存在感を増していった青館の姿を読み取れるのではないだろうか。

このように青館では、放課後・土曜・長期休暇を通し、連日多くの中学生が集っていたのだが、実はその背景には館の職員の方々による意識的な働きかけがあった。というのは、当時、周辺の中学生のなかにいわゆる「荒れ」の傾向が見られるなか、生徒たちが放課後等に集まる場所として、青館の「利用促進」の呼びかけが職員の方々よりおこなわれたのだという。そして呼びかけにこたえて集まった生徒たちの間では、青館で過ごすうちに段々と落ち着いた雰囲気が生まれ、地元中学校からも大きな評価がなされたとのことである。

このような話を、学校とは違う角度から地域の青少年の課題・状況を感知し、そこに柔軟に分け入っていける職員の実践や方法論が存在したことを示す、いかにも「青館らしい」話だと思うのは筆者だけだろうか。また、この広場事業には、約20名の障がいのある子どもの登録・参加もあり、遠くは天王寺区から参加というケースもあった。こうした多様なニーズを持つ子どもを、地元地区に限定せず、地域を超えて積極的に受け入れてきたという青館の側面も見逃すこともできないように思われる。

以上のような矢田青館にまつわるヒアリング内容から強く感じられるのは、教育・子育てにかかわるさまざまな課題や、それを担う多くの人びとが互いに青館において交差してきたといういわば活動の集約・結節点としての機能の重要性である。また、それら多様な機能をコーディネートしてきた職員の方々の存在の大きさである。今回、「廃止」によって失われてしまったものが一体なんであるのかということを、ハードとしての青館施設という範疇を超え、あらためて問うべきだと思わされた次第である。

3、青館条例「廃止」により居場所を失った子どもたち

さて、突然の条例「廃止」という事態を前に、大阪市が開いた「説明会」においては、青館利用者からの次のような声が挙がったと伝えられている。

「子ども広場事業が廃止されて学校のいきいき活動に参加するようにいわれるが、子どもが本当になじめるか心配である」

「広場事業を廃止して、いきいき活動に吸収するというが、せめてもう1年広場事業を残して利用者が不利益をうけることのないように考えるべきではないか」

「条例廃止の目的が全くわからない。人権行政・青少年教育行政の後退ではないか」

(以上、「矢田支部ニュース」、部落解放同盟矢田支部、2007・1・29、第156号より抜粋)

たとえば「なじめるか心配」という声であるが、「いきいき事業」と「広場事業」ではその成立の経緯や制度的・実践的な性格が異なる以上、このような不安が生じるのは当然である。もし、そうした性格の違いについてしっかりと検討・配慮をした上で、子ども・青少年を対象とした社会教育・人権教育の枠組みの継承的・発展的再編に向けた議論をはじめようというようなことなら、筆者個人としてはまだ分からないでもない。だが、今回の突然の「廃止」に至る経緯が決してそうでなかったこと、「せめてもう1年」という求めにすら応えなかったことは、他館の例でも触れてきたとおりである。

さらに矢田青館の場合、呼びかけの成果で多くの中学生たちが館に気軽に立ち寄っていたわけだが、結局この生徒たちの姿は条例の「廃止」によってすっかり消えてしまった。関係者の方によれば、彼ら彼女らは「どこに行ったのかわからず、とても心配している」とのことであった。

現状では、小学校の児童の場合は「廃止」以後にいきいき事業へ移っていくことがありうるとしても、それは制度上、中学生の受け皿にはなり得ない。また同様に、青館に集まってきていた障がいのある子どもたちの場合、適切な準備もなく、新たにいきいき事業になじむことは簡単ではない。これに加え、特に長期休暇期間中などに過ごせる新たな居場所を見つけることが困難であることは、容易に想像できる。もともと遠くは他の区からわざわざ矢田青館に来ていたというケースがあったこと自体、特に障がいのある子どもたちの居場所についての、施策の貧困さの表れというべきなのであるから。

それにしても、居場所を奪われ、いわば「行き場を失った」かたちとなった子どもたちはどこに行ってしまったのだろうか。あるいは、青館を結節点として見つめられてきていたさまざまな課題は、その後、どのように引き継がれていっているのだろうか。

筆者には今回の青館条例「廃止」は、「財政再建」や「同和施策見直し」を口実・タテマエとする青少年施策の切り捨てであり、そのために「青少年をめぐる教育上の多様な課題・ニーズ」というわれわれの社会がこれまで抱え、これからも抱え続けるだろう問題が、かえって見えにくくされてしまったように思えてならない。

だが、たとえば本稿の2で述べた中学校生徒をめぐるエピソードなどは、社会教育施設の青館と学校がそれぞれの視点から役割を果たすことで、課題がリアルに集約され、一定の道筋が見えてきた好例と言えるのではないだろうか。今後、そうした青少年の日常やそこでの課題の集約・可視化がなされずバラバラな対処の方向に向かうというのならば、あえていうなら、それこそ行政側のいう財政コスト上の有効性という面においてすらも問題を拡大するものではないのだろうか。

4、もと青館における自主的サークル活動等の現状

最後に、矢田もと青館での自主サークル活動等について紹介しておきたい。これまで主に子ども・保護者を対象として青館で行われてきた文化・スポーツ活動は、その一部が青館条例「廃止」以後も自主サークルとして続けられている。しかし、他館同様、館の事業という枠組みから外れ、講師等の確保や道具の利用、事務作業・連絡面での支援が失われたことで全体的に難しい現状に置かれているようである。

ただそのようななかでも、上記の乳幼児広場の活動は続けられ、連日多くの保護者・乳幼児が館内か貸し室に集っているという。また、講座を出発点とした3線のサークルも活発に活動しているとのことである。このほか、識字教室も学校の教員の方々や市民ボランティアの方々の協力の下、週1回の開催で順調におこなわれている。

また、大阪市教育委員会から子ども青少年局へと所管が移されることになった、「ほっとスペース事業」では、基本的に以前と同じ活動が繰り広げられている。変化した点としては、館内の部屋を使った活動が全体的に減少(これ自体は好ましいことではないが)したことで、登録している子どもたちの使えるスペースは増えているとのことである。ただ以前は、ほっとスペース事業と広場事業の子どもたちが交流しあう場面なども一部あったのが、今は失われているという面には寂しさも感じているという。このような内容を、関係者の方から伺った。

現在、矢田の館では他の館と同様にグラウンド・体育館が高い利用率にあり、地区内外の多くの体育サークルにより、サッカー・バスケットボール・バレーボール・ダンス等が積極的に楽しまれている。そういう意味で、「市民利用施設」への移行は順調になされていると言える。

その他方、かつての青館における実践を、現在の施設とは相対的別個に再編しようという保護者の方々のお話を伺いもした。地域の子ども会的な活動や、花植え、体験ツアーなどいろいろな具体的アイディアが出されており、今後の地域における子育て・教育活動の可能性に結びついていくに違いない。館の状況のみならず、そこからひろがっていこうとするさまざまな活動をも射程に入れることが、「青館のこれから」を考える上で重要になってくるのではないだろうか。