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研究所通信276号掲載
部落の21家族 ライフヒストリーから見る生活の変化と課題

(部落解放・人権研究所編 2001年5月、A5判、507頁)

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《第3回》

今日の部落問題の最大の課題である「低学力」「就業達成の弱さ」や、部落の人びとの「優しさ」「しぶとさ」が、生活の中のどのようなメカニズムから生み出されているのかを「生活史調査」により解明を試みたのが本書の特徴である。

ここでは、掲載された下記7本の論文の「要約」の紹介をする。今回はその第3回。

●部落におけるカルチュラルモデルの形成

 〈要約〉

 本稿は、同和地区におけるカルチュラルモデル(対抗的な認識の枠組み)の形成とその傾向を、今回の聞き取り調査をもとに探り、部落の子どもたちの教育達成問題の解決への一助としようとするものである。

 従来、部落の子どもたちの教育達成が不十分なのは、教育条件が整っていない結果だと考え、同和加配教員の配置や奨学金の充実など、教育諸条件の拡充がはかられてきた。しかし、現在でも、部落の子どもたちの教育達成はなお不十分なままである。その原因の一端に迫りたいというのが、本稿の基本的な問題意識である。

 私は、部落を校区に持つ中学校に勤務する中で、同和地区の子どもたちと地区の人たちの生活様式や価値観などにふれる機会を多く持つことができたが、とりわけ、部落外の社会に対する見方や態度に、程度の差はあれ、何か共通する対抗的な感情が存在するのを感じてきた(例えば、学校や教師への漠然とした不信、身内意識や地区外と一線を画した生活態度など)。

 そして、そうした対抗的な感情が子どもたちの教育達成にも何らかの影響をおよぼしているように思われた。教育達成に影響をおよぼしている「文化的な違いにとどまらない潜在的かつ主体的な何か」。それは「部落の歴史的な特徴に起因するものの見方(認識)に関する何か」であると思われた。

 こうした、私の経験的な考えに大きな示唆を与えてくれたのは、人類学者オグブの「カルチュラル(文化)モデル」論である。オグブは、現代社会におけるカーストという側面に注目し、アメリカの黒人など「非移民的マイノリティ」を「カーストライクマイノリティ」と規定し、カースト的層化のメカニズムが教育達成に及ぼす影響について考察をおこなっている。

カルチュラルモデルとは、カーストバリアー(身分的障壁)や差別等の支配的社会の態度をマイノリティがどのように認識するかという、認識の枠組みである。長年の支配的社会からの差別的処遇や偏見によって、マイノリティは、ある固定された認識の枠組みによって社会を認識し、それが生活様式や生き方の姿勢にも影響を与えているというのである。

そして、こうしたカルチュラルモデルを形成するのは、マイノリティの中でも、差別的処遇が長く固定されてきた歴史を持つカースト的なマイノリティ(黒人など)に特徴的であるというのである。私の感じた部落の人たちの抵抗的な感情は、こうしたカルチュラルモデルというものの存在を仮定すると、無理なく説明できるように思われた。

 アメリカの黒人と日本の部落とでは、差別のあり様や歴史的な背景は異なるが、カースト的マイノリティという点や解放運動の歴史には共通するものが多く、同じような認識枠組みが形成されてきたのではないかと考えられる。

 カルチュラルモデルは、部落外との差異の自覚や被差別の自覚、不安などの感情をもとに形成され、全体としては対抗的な色彩を帯びているが、そのもととなる感覚・感情・意識の違い、あるいは世代や地域等の違いによって、いくつかの傾向を有する。

 本稿では、カルチュラルモデルの傾向の違いを対抗的・適応的という表現で表している。差別の反発とそれに伴う部落への愛着が強ければ対抗的な色彩が強くなり、差別への不安や部落からの逃避の気持ちが強ければ適応的な色彩が強くなる。

本稿では、適応的な傾向のものも、カーストバリアーや差別を背景として形成されており、広い意味では対抗的であると考えている。

 こうしたカルチュラルモデルの傾向は個人の中で明確に区分されて存在しているわけではない。個人は部落内外の様々な文化的環境の中で生きており、カルチュラルモデル形成のもとになる感情や感覚・意識も様々なものが入り混じっている。

カルチュラルモデルの2つの傾向は、一見対立的であるが、個人の中で明確に区分されず混在している場合が多い。いわば2つのメガネを同時につけたり、状況に応じて使いわけたりして認識をしているのである。

 なお、語りの中には、カーストバリアーや差別の存在は認めながらも、それに大きなウエイトをおかない意識や部落の現状への批判的意識も存在する。それらは、対抗的な感情を基盤とするカルチュラルモデルとは言えず、カルチュラルモデルの解体の方向を示すものだが、今後の同和地区出身者の意識的なあり様の一端を示すものとして取り上げた。

また、今後のカルチュラルモデルの動向を知る上で重要だと思われる若い世代のカルチュラルモデルとカルチュラルモデルの変化(解体)についても最後に簡単にふれている。