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書 評
 
評者加藤敏明
部落解放研究131号掲載

上杉孝實、黒沢惟昭編著

生涯学習と人権-理論と課題

(明石書店、1999年3月、A46判、324頁、3,500円+税)

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 生涯学習と人権との関係には、「人権としての生涯学習」と「生涯学習における人権」という2つの側面がある。

 上杉孝實さんが第1章「総論」の中で「人権としての生涯学習」について整理されている内容は、部落における生涯学習事業、ならびに市民啓発活動の今後のあり方を考えるのに重要な示唆を与えている。

 部落における生涯学習事業は、解放会館(隣保館)を拠点にして、部落内外の交流事業を積極的に展開しようとしている。その中で、成人を対象にしたさまざまな学習活動が行われているが、足元の部落からの参加者が相対的に少ないという問題を抱えている。

 また、広く市民を対象に人権に関するさまざまな啓発活動が実施されているが、人権に関して切実な要求を潜在的にもっていると思われる人びとがどれだけ参加しているか、もっとも人権に関する学習機会を必要としている人に必ずしも保障されていないという問題がある。

 「生涯教育は「いつでも、どこでも、だれもが」学ぶことができるようにすることが大切だといわれるが、ただ一般的に学習の機会を拡げるだけでは、持てるものがますます持つようになり、人々の間に格差をもたらすことになる。それに対して、被抑圧者に焦点を当て、その解放をめざす生涯教育が対置されるのである。」(17頁)

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 「被抑圧者に焦点を当て、その解放をめざす生涯教育」には、制度上の課題、並びに教育の主体と内容についての課題がある。制度上の課題は、被抑圧者に重点を置いた施策(重点地域の設定、積極的優遇策)と連動した生涯教育である。

 教育の主体と内容に関して、抑圧からの解放は、自らの教育を創り出し担っていくこと、すなわち学習主体としてだけでなく、教育主体として「教育に関わる権利」が取り上げられなければならない。

 また、被抑圧状況からの解放にとって、「生活を切りひらく力の形成」が保障されなければならないという上杉氏の指摘は、被差別部落における生涯学習、生存権が著しく侵害されている人びとの生涯学習のあり方を検討する際の基本的な観点を提起している。

 同和行政の方向は、自立支援のための施策に重点が移行し、解放会館・隣保館の役割が期待されている。今後の生涯学習事業として、住民の「教育に関わる権利」を保障するとともに、従来の識字教室だけでなく「生活を切りひらく力の形成」のためにどのような活動を必要としているのか、政策化が急がれる。

 このことと関連して興味深いのは、長尾彰夫さんが第3章「戦後の学校教育における人権」の中で展開されている「解放の学力」と「生きる力」についての問題提起である。社会的立場の自覚から解放の学力の獲得という「正論」の中にある図式主義、「解放の学力」という概念の抽象性に対する批判である。長尾さんは、「「生きる力」は、表現上は「解放の学力」と類似性を持つ。

 しかし、「解放の学力」は自らの社会的立場の自覚に基づき、差別と不平等克服のための力の獲得であった」と、その違いを明確にした上で、両者の共通性として「単純に抽象化された予定調和論」になっていることを指摘している。

 被抑圧者にとって、「生活を切りひらく力の形成」とは何か。それは、自立という表現が能力主義的自立と自己実現的自立との区別を曖昧にして使用されることが多いことからしても、明確にする必要があろう。

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 上杉孝實さんは、学習の場のあり方と関わって、「複雑化の増す現代社会に生きるには、体系的学習の場も保障されなければならないが、主体的な学習として、ネットワーク・モデルの学習の重要性が増している。

 これは、ある知識を中央から周辺に拡げていく「中心―周辺モデル」(centre-periphery model)の学習に対するもので、それぞれの場での自立した学習を重視するものである」(21頁)と指摘している。

 その意味で、地域における教育文化施設(啓発センターを含む)の役割が期待されるが、今後の教育文化施設のあり方を考えるのに、相庭和彦さんの第5章「地域における社会教育施設の在り方と人権保障」は参考になる。

 相庭さんは、戦後社会教育運動の基本的な理念である「権利としての社会教育」には、「生活に即した学習要求」と「生活の豊かさを求める「趣味・娯楽」への要求」が含まれていた。そして「「権利としての社会教育」論は、前者に力点を置きつつ両者を包摂する概念として登場してきた。

 つまりそれは生活課題型学習重視論であり、地域社会への問題関心を課題克服型学習へと結びつけ個人個人の問題意識を絶えず社会へと向け、その意味において「生活者の権利としての社会教育」であった」と指摘している。

 そして、日本の高度経済成長期における〈陰の部分〉を解決するために果たしてきた「権利としての社会教育」の役割を認めた上で、〈光の部分〉である「市民社会の成熟に伴う「豊かな」市民層の出現とその学習要求の質的変化」に十分に対応できなかったと分析している。そして、「社会教育が、「受ける権利」という発想から前にでないことには、展望は見えない状況に来た」と結論を下している。

 同和対策事業の結果、部落内に階層分化が生じてきたが、それが学習要求を潜在的にあるいは顕在的にどのように変化させてきたのか、そして学習要求の変化に対応した、あるいはそれを先取りした生涯学習事業を展開することができてきたのか、総括が必要とされているといえる。

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 相庭さんは、「形式的平等を推し進めていくことで実質的不平等を拡大再生産する性格の資本主義社会において、学習活動を支援する施設がどのような役割を担わされ、その矛盾が如何なる形で表出せざるを得ないか」と、市民社会の現実から教育文化施設のあり方を提起している。

 教育には、市場原理にまかされるものとそうでないものがある。人権問題の学習は、市場原理にまかされないものであり、「アファーマティブアクション的発想の学習」を展開するための社会教育専門職員の役割と必要性を指摘している。

 そして、今後の課題として、新自由主義が台頭するもとで、社会的弱者の参加、共生共学の社会教育の必要性を述べ、「社会教育施設としての「公」的領域と学習者としての「私」の関係に「共」という領域を形成していく活動」としてボランティア活動を位置づけ、「社会教育はその共同性を支援していく方向で再編」していくことを提起している。

「アファーマティブアクション的発想の学習」とは何か、「共同性を支援していく方向での社会教育の再編」とはどのような再編なのか、具体的に明らかにすることが求められる。

 最後に、今後の生涯学習事業との関連で紹介しておきたいのは、部落解放・人権研究所が主催している部落解放・人権大学講座の実践である。

 この講座は、今年で25周年を迎え、すでに修了生が3000名近くになっている。そして、現在25周年を機に「修了生人材バンク」を立ち上げることを計画している。その目的は、修了生の自己実現と同時に、部落におけるさまざまな生涯学習事業への支援にある。これが実現すれば、地域において共生・共学の生涯学習事業を創造するための重要な一翼を担うことになるであろう。