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書 評
 
評者尾上浩二
部落解放研究138号掲載

リチャード・K・スコッチ著、竹前栄治監訳

アメリカ初の障害者差別禁止法はこうして生まれた

(明石書店、2000年7月、46判、232頁、2,000円+税)

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日米自立生活セミナーと差別禁止条項の衝撃

 本書のタイトルで述べられている「アメリカ初の障害者差別禁止法」とは、1973年のリハビリテーション法504条項のことである。それは、「…単に障害者という理由で、連邦政府からの財政的援助を伴う施策・事業への参加において排除されたり、その利益を享受することを拒否されたり、ないしは差別されてはならない」とする、差別禁止条項である。

 アメリカでの障害者の人権法制といえば、1990年に成立したADA(障害をもつアメリカ人法)が広く知られている。そのADAのひな型になったのが、この504条項である。あるいは、504条項をさらに雇用関係、民間事業者、情報通信サービスまでに拡張したのがADAといってもよい。

 この504条項は、障害当事者や関係者の間では、かなりショッキングな思い出と結びついている。日本で504条項がよく知られるようになったのは、1983年の日米障害者自立生活セミナーの開催であった。

 本書にもたびたび出てくるジュディ・ヒューマンや、マイケル・ウィンター(クリントン政権下での運輸省バリアフリー担当官)など、著名な活動家が来日し、全国各地で講演会を行ったのである。その時に、自立生活の哲学、障害者主導の自立生活センターのサービスとならんで紹介されたのが、この改正リハビリテーション法504条項であった。


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 1983年は、すでにレーガン政権登場後3年目であり、本書の表現を借りれば「障害者権利主張運動の影響力は、急速に減退」した時期にあたる。それでも、実際に1カ月におよぶ連邦政府ビル占拠闘争などを繰り広げ、自らの手で504条項を勝ち取った経験に裏打ちされた迫力、エネルギーが、何よりも日本の参加者にインパクトを与えた。

 そして、504条項より大学などの高等教育機関に障害者が入れるようになってきていること、リフト付きバスなどが運行されてきていることを知り、さらに大きな衝撃を受けた。

 今でこそ、草の根の障害者運動の国際連帯や情報交換の機会は数多くもたれるようになってきたが、当時はほとんどなかった。おそらく、活動家レベルが多数参加する形での国際セミナーとしてははじめての機会であった。

 当時(以来、1999年12月に改正されるまで)、日本では運輸省の通達により車いすを利用する障害者のバス乗車には必要な介護者同伴が義務づけられており、あちこちで乗車拒否が相ついでいた。リフトなどの設備以前に、法律によって障害者差別が正当化されていたのだ。一方、アメリカでは差別禁止条項があり、リフト付きバスが運行されていた。そうした驚きとともに、セミナーの参加者に受け止められたのが、この504条項であった。


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504条項「出生の秘密」とパラダイム転換のシンボル

 だが、「504条項=差別禁止規定」と知られている割には、その具体的な成立過程や背景などは日本ではあまり知る機会はなかった。評者自身も、504条項については年表的知識しかもち合わせていなかった。

 本書は、まさにそうした「空白」を埋めるかのように、504条項に焦点を絞り、その成立過程・背景・政府や官僚機構内部の動向、障害者権利運動の動きの相互関係を詳細に紹介・分析している。

 本書をまとめるにあたって、100人以上にコンタクトを取り、その半数からインタビューを行ったという。そうした綿密な取材に基づいて、分析がなされていることが大きな特徴である。そして、単に事実の細かな記述に止まることなく、「「慈恵(チャリティ)」を基礎とするアプローチから「均等な権利」を基礎とするアプローチへの移行」(日本語版への序文)という、政策の大きなパラダイム転換という文脈の中で描かれている。


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 人権運動としての障害者運動がアフリカ系アメリカ人の運動やフェミニズム運動などの影響を受けながらも独自性をもったものとしてとらえられ、また1960年代からの障害者法制に示される依存イメージを前提とした障害者政策の拡大があったことが述べられる。

 そして、「障害者の権利運動の成功は、障害者運動の力量とは釣り合っていない」、「アメリカ現代史において、障害者運動は、その影響力を効果的に行使する集団としては、異色の存在のように映る」と、504条項をめぐる独特の状況、著者の問題意識が明らかにされる(第1章)。

 「善意から人権へ」のアプローチの転換を求める萌芽も含んだ法制化や障害者の社会活動が進められてきた(第2章)。

 しかし、ADA制定までの歴史を知る私たちからすれば意外なことだが、リハビリテーション法草案作成時点では504条項は大きな意義をもつものと受け止められていず、法案作成にあたった上院スタッフのアイデアから生まれたことが明らかにされる(第3章)。

 そうした経過から成立時点では、504条項の担当部局すら決まっていなかった。公民権局が担当となり、施行規則の明確化に一役かった(第4章)。

 そして、1973年の成立後、504条項の施行規則は4年も先送りされることになった。その期間に、各論反対的な議論の一方で、障害者団体による全米各地での統一示威行動の展開などによって、1977年にようやく施行規則が公表される。そして、1980年までその政策は普及していくことになる(第5章、第6章)。


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 このように、当初は、障害者運動の関係者にすらあまり知られないうちに策定された504条項が、なぜ、その後の政策展開を考えると大きな意味をもち得たのか?

 著者は、「シンボルの勝利」として504条項の進展の意義を明らかにしている(第7章)。

 冒頭にも述べた通り、私たち日本の障害者運動活動家は衝撃をもって504条項を受け止めた。本書を読んで、その意外な「出生の秘密」を知るとともに、そうしたさまざまな偶然を通じながらも確実に障害者運動が発展してきた歴史や社会のダイナミズムを感じた。

 日本では、ここ2、3年障害者の権利に関連して、成年後見法や交通バリアフリー法、障害者欠格条項の見直しなどが進められてきている。しかし、例えば、交通バリアフリー法では、障害当事者の強い要望にも関わらず「移動の権利」は明記されていない。また、法律・制度上の障害者差別の典型ともいえる欠格条項の見直しも、まだまだ不十分である。

 今後、日本でも障害者基本法の再改正(権利規定や差別禁止条項の創設)や「脱施設・地域生活支援」への政策転換が求められる。それは単なる政策の手直しではなく、「慈恵アプローチから人権アプローチ」への転換でなければならない。そうした点から504条項の成立経過・背景・意義などを詳細、かつ包括的に分析した本書を、一人でも多くの方にぜひ読んでいただきたい。

 なお、著名な障害者人権活動家であり、クリントン政権下で教育省の局長を務めたジュディ・ヒューマンが「ホイーマン」と表音されていたり、女性であるにも関わらず「彼」という代名詞で表されている点などは、次の改訂の機会に訂正頂ければと思う。