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2008.04.09
書籍・ビデオ案内
 
Human Rights 2007年12月号(NO.237)
わくわくして学ぶ
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シリーズ いっしょに動こう、語りあおう 第2回

理不尽さに抗う子どもたち
―青少年会館条例廃止をめぐる抗議行動―

井上寿美(いのうえ・ひさみ 関西福祉大学社会福祉学部)

子どもの権利条約に逆行

「子どもの権利委員会の総括所見:日本」1
(子どもの権利条約NGOレポート連絡会議訳)

子どもの意見の尊重

28.委員会は、条約第12条にしたがい、締約国が以下の措置をとるよう勧告する。

a.家庭、裁判所および行政機関、施設および学校ならびに政策立案において、子どもに影響を及ぼすあらゆる事柄に関して子どもの意見の尊重を促進しかつ子どもの参加の便宜を図ること。また、子どもがこの権利を知ることを確保すること。(中略)

d.学校、および子どもに教育、余暇その他の活動を提供しているその他の施設において、政策を決定する諸会議体、委員会その他のグループの会合に子どもが制度的に参加することを確保すること。

 大阪市の子ども施策に携わる人たちは、国連・子どもの権利委員会が2004年に日本政府に向けて出した「総括所見」を読んだのであろうか。誰一人として「総括所見」を読んでいないと言いたいわけではないが、思わずこのような問いかけをしたくなる。なぜなら2007年4月から、大阪市では「子どもの権利条約」に逆行する子ども施策が始まっているからである。その具体例が、2007年3月をもって青少年会館条例が廃止され、部落解放子ども会を受け継ぐ青少年会館事業が事実上「解体」の危機に瀕していることである。詳細については、前号の「大阪市の青少年会館条例廃止は各地区に何をもたらしたか?―今後の教育・子育て運動のあり方を考えるために―」2で報告されているとおりである。

 ところで、国によって「子どもの意見の尊重を促進しかつ子どもの参加の便宜を図る」というようなことが全くおこなわれていなかった時代でも、意見表明権を行使してきた子どもたちがいる。部落解放子ども会の子どもたちである。戦後に限ってみても、「子どもの権利条約」が国連で採択されるおよそ40年近く前に、広島や京都、和歌山の部落に子ども会が組織されている。たとえば京都の「田中子ども会」は、差別教育に反対するために勤評闘争を闘いぬき、当時の市長や知事に勤評をおこなわないと確約させたりもした。「子どもの意見の尊重を促進しかつ子どもの参加の便宜を図る」ことがおこなわれていようがいまいが、自らの要求を掲げて闘った輝かしい子ども参加の実践である。

 そして、「田中子ども会」の勤評闘争からおよそ半世紀近くが経過した今、再び、自らの要求を掲げて闘った子どもたちがいる。「大阪市地対財特法期限後の事業等の調査・監理委員会」の提言が出されたあと、青少年会館条例廃止の反対運動に立ち上がった、部落解放子ども会を受け継ぐ日之出地区の子どもたちである。

本稿では、「子どもの権利条約」に逆行する大阪市の子ども施策に対して、日之出地区の子どもたちの抗議行動がどのように進められていったのかをみていく。そして、子どもたちに抗議行動をおこさせたものは何であったのかを考えたい。なお本稿は、2007年8月と9月の2回にわたり、部落解放・人権研究所「『青少年対象施設を中心とした各地区拠点施設のあり方』検討プロジェクト」における活動の一環として、旧日之出青少年会館の活動にかかわる複数人からおこなったヒアリングをもとにしてまとめたものである。

「自分らで考えて動ける」子どもたち

 部落解放子ども会を受け継ぐ「こばと会」に通っていた日之出地区の小学校低学年の子どもたちが、その活動場所である青少年会館の存続が危ういと耳にしたのは2006年夏のことであった。それから2007年4月を迎えるまでの子どもたちの動きを追ってみよう。

 最初、子どもたちは「こばと会」の指導員から、「このままいけば青少年会館はなくなるだろう。なくなるのを待つのならそれでもいいよ」というような情報提供を受けた。これがきっかけとなり、子どもたちは、青館条例廃止反対の抗議集会や署名活動、この件に関する説明を市長に要求する運動などを次々とおこなっていった。そのときの様子を、当時は子どもの広場事業のサポートスタッフで、現在は「いきいき」活動の指導員であるNさんは次のように語っている3。

 「(子どもたちの反対運動の)はじめは子ども集会から。1年ぐらい前。隣のグラウンドでOBと今の子らが集まって自分らの気もちを確かめるとこからはじまった。集会(を開いたの)は子どもが。ちっちゃい穴をつくったのはおとなやけど、それにガッとのっかってきたのは子ども。(おとなは)たんに「集まって集会せえへんか」。その穴をあけてくれたのは上の子。夜間に活動しているウィングの子らが穴をひろげてくれた。それが、『こばと』の子らに伝わってOBに伝わって。集会をやって、署名も徐々に、一気にやったんではなく、次に何をやらなあかんかっていうのを徐々に。(中略)署名活動も、はじめは『どうする?』っていう感じ、子どもらの意見を聞く。そしたら『やるやる』って、みんなが言うて。そのときに束で署名活動の紙を子どもらが各自家にもって帰って、書けたら持ってきて言うたら、次の日に持ってきたとか、団地1周してきたとか。子どもら個人も何かやらなあかんと思ってて。署名も集まったら(大阪市に)持っていく。持って行くのも子どもらが学校終わって、(おとなと)一緒に持って行って。そんなんを何回も繰り返してて。大阪市に手紙を出したこともある。市長に会わせてほしいって、自分らで手紙を書いて。『こばと』の子も書いて。たった1行でもいいから自分の思いを書いて。一緒にウィングの子らに持っていってもらったり」。

 子どもたちに抗議行動をおこさせたものは子ども同士のつながり、とりわけ縦のつながりであった。「このままいけば青少年会館はなくなるだろう。なくなるのを待つのならそれでもいいよ」という話を聞いて、一人ひとりの子どもの心の中に「嫌や」という気もちが湧き起こってくる。年齢が上の子どもたちは、その気もちをみんなの気もちとして組織していく役割を担ったのだろう。しかし、子どもたちの縦のつながりは、上の子が下の子をひっぱり、下の子が上の子についていくというようなものではなかったようだ。子どもたちが市長に会いたいと手紙を書いたり、市役所に説明を求めに行ったりしても「おとなたちはまともにとりあってくれない」状況が続いた。

 「総括所見」では、「政策を決定する諸会議体、委員会その他のグループの会合に子どもが制度的に参加することを確保する」と勧告されている。ところが、今回の青館条例廃止をめぐっては、政策決定に子どもの参加が確保されていないのは勿論のこと、子どもたちへの説明ということでも、市の担当職員が来た程度で、大阪市長ら市政上層部は子どもたちの前に現れなかった。抗議行動の手ごたえが得られない日々が続くと、中学生や高学年の子どもたちは、Nさんが辛くなるほど「話にならんわっていうような顔をしている」のだが、「低学年の子らはわからずついてきた」という。上の子らにしてみれば、おとなたちの不誠実な対応に諦めの気もちがおこってくることもあっただろう。しかし、ただただ「こばと会」をなくしたくないという一心でついてきている低学年の子どもたちの一生懸命さに、気もちを奮い立たせられることもあったのではないか。結果として、下の子が上の子を励ますこともあっただろう。

「最低限のあたりまえのこと」ができる子どもたち

 Nさんは、子どもたちの縦のつながりを次のように語っている。「ここに来てて、上と下の関係がちゃんと柱があって、そこにみんなくっついてる状態で、『行こうや』っていうたら、みんながそれにわ-っとのっかっていけた」。子どもたちの縦のつながりは、「ちゃんと柱があって、そこにみんなくっついている」ような「上と下の関係」なのだという。上の子が下の子を力で支配するような上下関係ではなく、1本の柱の上や下につながるがゆえにできあがった、いわば葡萄の房のような上下関係なのである。大きな実、小さな実、それぞれをつなぐ果枝としての「柱」がある。

 では、果枝をつくっているものは何だろうか。Nさんの言葉を借りれば、「最低限のあたりまえのこと」を大切にする関係ではないかと思う。さらに言えば、「最低限のあたりまえのこと」を大切にするがゆえに、「最低限のあたりまえのこと」が大切にされない理不尽さに一緒に腹を立てることのできる関係である。子どもたちの「なぜ、青館がなくなるのか?」という質問にたいして、「あるところで悪さをした人が居って、その影響を受けている。青館に利用者が少ないから、いらないのではないかと言われている。青館のある場所が偏っている」と説明した。すると子どもたちは「どっかで悪さした人、自分たちには関係ない。利用者が少ないといっても自分らがいる。青館のないところがあるんやったら、ないところにつくればいい」と主張したという。子どもたちの主張は、実に「あたりまえ」なのである。

 理不尽なことを納得することはできないという力は、一朝一夕に培われたものではない。Nさんは、日々、「最低限のあたりまえのこと」ができる人間になって欲しいと願って子どもたちとかかわっているという。その「あたりまえ」とは、「『おかえり』っていうたら『ただいま』って言える」ことなのである。とても簡単なことのように思えるかもしれない。しかし、あいさつができるというのは、相手を一人の人間として尊重し、誠実に相手と向き合うことである。この「あたりまえ」を実行することがどれほど難しいのかは、今回の大阪市の対応をみても明らかである。

おわりに―伴走者としてのおとな―

 抗議行動を引き起こしたものが、理不尽さに腹を立てることのできる関係を核とする子どもたちの縦のつながりであるとすれば、そのようなつながりをつくってきた指導員の存在をぬきにして、子どもたちの行動を語ることはできない。紙幅の関係で、指導員のかかわりについては詳しく紹介できないが、総じていえば、指導員は、子どもたちに情報提供をし、徹底して子どもにつきあいながらも、決定は子どもたちにゆだねる伴走者であった。子どもたちを一方的にひっぱって抗議行動をさせたわけではない。もし、指導員によって無理にさせられた抗議行動であれば、成果を得ることのできない低迷状態の中で、子どもたちは抗議行動がうまく進まないことを指導員の責任にして逃げ出したであろう。

 日之出地区に限ったことではない。部落解放子ども会を受け継ぐ青館事業が「解体」の危機に瀕した今、他の館でも子どもたちをつなぎとめているのは、地域の子どもたちにかかわり続けようとする伴走者の力なのである。「子どもの意見の尊重を促進しかつ子どもの参加の便宜を図る」ような子ども施策を展開していくためには、子どもの伴走者としてのおとなの存在が重要であることを最後に明記しておきたい。


1 「子どもの権利条約」第44条において、本条約の締約国は、「権利の実施のためにとった措置」や「権利の享受についてもたらされた進歩」に関して国連・子どもの権利委員会に報告することが義務づけられている。同委員会では、提出された報告書に基づいて締約国に「提案および一般的勧告」を行うことができるようになっている。ここで引用したものは、第2回政府報告書を検討して2004年に出された「総括所見」の「主要な懸念領域および勧告」からの抜粋である。

2 部落解放・人権研究所『ヒューマンライツ』2007年11月号

3 「児童いきいき放課後事業」とは、大阪市が市立小学校を実施場所として、平日の放課後・土曜日・長期休業日におこなっている事業である。「児童の健全な成長・発達を図っていくため、遊びやスポーツ、主体的な学習などを活動内容」としている。日之出地区では、現在、地元小学校だけでなく、青少年会館の建物を利用して暫定的に「いきいき」活動の分室がおこなわれている。