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 大阪の毎日大阪会館社員や堺市の給食会社職員による差別事件もまた、企業内同和問題研修の形がい化がはっきりとみえてくる。毎日大阪会館では人権啓発担当者をおいていたものの、関係団体などが主催する研修会への積極的な参加もなく、社内での啓発推進体制や研修も不十分であったし、堺市の給食会社は堺市人権教育推進協議会の企業部会に発足当時から参加しているものの、ここ3年間は研修会に参加せず、また行政からの働きかけも一切なかったのである。

 三重県阿山町民による部落差別手紙事件は、1999年3月、JR西日本奈良電車区に勤める三重県伊賀町在住のB社員宅に届いた差別手紙事件であるが、B社員に対しては実は1989年1月から1998年までの間に10程度誹謗する落書き事件があった。さらにその後、B社員宅に無言電話や誹謗中傷の留守番電話が入っており、1998年9月14日にB社員は三重県人権センターを訪れ、相談している。そして1999年3月6日にB社員宅に手紙が届き、3月10日、B社員は電車区の主席助役に手紙を持参、主席助役が支社同和対策室へ電話連絡する。事件は、JR内部での調査の結果、2001年10月に差出人が同社のA社員であることが判明し、部落解放同盟中央本部、同大阪府連、同奈良県連、同三重県連が合同で5回の事実確認会としての対策会議を開催した。

 そこでA社員は、@B社員に対して嫌がらせの手紙を出し始めたのは1996年頃からであり、相手に対する個人的感情に加え、家庭内での悩みもあり、何かで鬱憤を晴らしたいとの思いで手紙を書いた、A勤務が奈良電車区から天王寺電車区へ、そしてまた奈良電車区へと戻されたことがそもそも嫌だった、B差別手紙を出した動機は、B社員の自宅が部落の近くにあったことと、社内でB社員に偉そうにされたこと(A社員が奈良電車区に助勤に行った際「何しに来たんや」とB社員に言われた)と、その頃の家庭内での悩みが重なったこと、C差別手紙以降B社員に対する嫌がらせをストップしたのは、もしばれて糾弾を受けるようなことがあったら怖いと思ったし、糾弾については裁判のような形で罰せられるというイメージがあった、ことを明らかにしている。

 また、2002年3月20日に部落解放同盟三重県連としてA社員から聞き取りを行う中で、A社員の地元阿山町内での消防団での親睦旅行や懇親会、家庭の生活の中で、まわりの者より多くの部落差別発言を聞く中で偏見を身につけてきたこと、また自分自身も差別発言を行っていた、と自身の差別意識形成について語っている。

 ここでは加害者A社員自身が職場で悩んでいたこと、家庭について悩んでいたこと、そして地域で差別意識が形成されていったことなどが明らかにされてきており、単に事件の反省を求め、部落問題についての理解を深めるだけでは本当の解決にならず、それぞれでの課題が残されている。

 本書で紹介している「公務員による差別事件」はそれぞれで内容が異なっているようにみえるが、実際は根がつながっている。

 滋賀県近江八幡市の事件は、いわゆる「いじめ」でその手法として部落差別が存在しており、実行者と情報提供者の違いはあれ組織的である。兵庫県篠山市の事件は、市民の差別意識について、行政職員の責務としてきちんと対応していないことのみならず、その事実を上司などが隠ぺいしようとしており、これもまた組織的である。「人権担当」や「同和担当」だけが部落問題や人権問題にかかわっていればいいのだろうか。安心して働ける職場づくりもまた大切な人権なのではないのだろうか。啓発や研修の形がい化の一因がここにもみえてくる。